読書しているだけでお金がもらえたらいいのに

 この世の中いろんな仕事があるというのに、読書しているだけでお金をもらって生活できている人がいないのは不思議だとおもう。読書しているだけでお金がもらえたらいいのに。そうやってお金がもらえる人がでてきたら、わたしも読書で稼ぎたいと考える人も増えて読書人口は増えるんじゃないだろうか。そもそも本が読めない多くの理由に仕事が忙しいからというのがある。わたしも経験がある。大学を卒業してリゾートホテルに就職したのだが、朝から晩まで働いて、わたしは酒が呑めたし臆さない性格だったから新人なのにしょっちゅう接待に呼ばれていた。連休は皆無でたまの休みは身体を休めるのが最優先。温泉街だったから温泉とサウナがあったのは幸いだったが読書する時間はとれない。それでも本を読みたい気持ちはあったからいつか読むぞと本はたくさん買って積読の山。本好きとしてあんな生活には二度と戻りたくない。
 だからこそおもうのだが、本を読むこと自体が仕事になりお金がもらえたらそんな素晴らしいことはない。書評もしなくていいし、ユーチューブで本の紹介もしなくていい。それなのにお金がもらえる生活。2024年の今の世の中ならそんな仕事があっても良さそうなのに。ありえないとおもいつつ、一方でないのはおかしいという気持ちになる。
 想像してみよう。読書家の一日を。
 読書家の一日は早い。本を読んで生活するのだからどうしても運動が少なくなるので、朝早く起きて身体を動かさなくてはならない。健康一番。読書家は朝6時に起床する。顔を洗い寝巻きからウォーキングの格好に着替えてすぐに出かける。近くのコンビニでブラックの缶コーヒーを買う。健康を考えて無糖。空腹の状態だと脂肪を燃焼しやすい。最低30分は歩くことにしている。散歩中は本について考える。いま読んでいる本のこと。つぎに読む本のこと。本のことを考えていたらあっという間に時間は過ぎていく。河原を散歩する。風が気持ちいい。夏が終わり秋をむかえる気配を感じる。読書の秋がやってくる。帰ったらトーストにピーナッツバターを塗ったのを1枚食べる。食べすぎないようにする。眠くなるのはよくない。朝8時から12時まで4時間読書。集中して読む。音楽は薄っすらとクラシックを流す。12時になったらパスタを茹でる。昨晩食べたサラダがボウルに入っているのでそれも小皿にうつす。ドレッシングはかけない。オリーブオイルと塩だけ。パスタはあえるだけのソースのやつで。簡単でいい。45分食事をしながらニュースなどチェックする。残りの45分は昼寝。目が疲れているからすぐに眠れる。13時半読書を再開。17時半まで読書に集中する。残業はしない。終わったらまた散歩。本屋に寄ったり軽く買い物。今日はドーナツを買う。たまに外食もするが、今晩は肉野菜炒め定食をつくる。ご飯と味噌汁と小鉢には冷奴。そしてがっつり肉野菜炒め。風呂に入ってスマホで海外サッカーのハイライトをみる。ホットコーヒーを淹れてドーナツをかじっていると、彼女から電話がきた。明日は一日休みでデートに行く予定。読書をするのは待ち合わせに向かう電車の中。それは仕事でなく趣味の読書だ。
 書いていておもうがすごく優雅だ。こんな生活が送れたら最高だ。しかし一方でこれでお金がもらえるはずがないこともよくわかる。なぜならここには読書家本人以外に誰も介在していないからだ。ただ好きなことをやっているだけで、自分ひとりですべてが完結してしまっている。残念ながらこれでは仕事にならない。現状、この世の中では好きなことを仕事にすることはできるし生活もできるのだが、お金をもらうには自分以外の誰かにお金を払ってもらえるように働かなくてはならない。誰にも知られずに好きなことをしてお金を稼ぐことはできない。
 だからこの読書家はお金をもらうために、読書をすることでお金をかせげるシステムを考案しなくてはならない。けれどもそれはただ読書しているだけでお金をもらっていると言えるのか。お金をもらうために読書をしているのではないか。読書の意味が変わってきてはいないか。本末転倒というやつではないか。
 読書しているだけでお金がもらえたらいいのに、お金がもらえたらもらえたらで読書は、読書家の手を離れていくのかもしれない。

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