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アマチュア創作の秘奥義(五)

    前回からまた少しあいてしまったので、これまでのまとめをしながら、いま考えていることを書いていきます。同じことを何度も書くというのは大事ですからね。同じ話を短期間のうちに何度も繰り返し話すのはいいかげんにしろと相手に言われてしまいますが、時間をあけてから書くのは問題ないと思います。いや、問題ないどころかやったほうがいい。小説でも村上春樹が長編で何度も同じテーマを繰り返しますが、書くということは読者以上に作者が自分自身の心の奥底に向かっていく行為なんじゃないでしょうか。そこに話言葉=パロールと書き言葉=エクリチュールの差異の秘密が隠されているように思えてなりません。話すということはまず先に相手がありきなわけですが、書くということはまず先に自分自身があるわけです。同じことを繰り返したら相手は他人だから飽きますが、自分自身は同じことを繰り返すという以上、そこにはなんらかの重要な理由があるはずです。それを見つけるために繰り返す。だから村上春樹の登場人物は井戸の奥底に一人で潜り込んで、自分自身と対話する。そしてそれは作者の村上春樹との鏡像関係を結んでいる。だから小説を書く時に、同じことしか書けなくて悩んでいる人がいますが、べつに悩む必要はないわけです。何を書くかは何度でも繰り返せばいい。変えるべきはどう書くか、です。これは創作全般にもやはりいえます。何をやるか、ではなくどうやるか、です。好きなことをやったらいい。そこは悩んでも仕方ない。好きなものは好きなんだからやればいい。ただどうやるかで結果は無限に広がります。これまで何度も書いてきましたが、とにかくいろいろやってみるべきです。たくさんやることによって、これはやらなくていいということが見つかります。やらなくていいことを見つけるためにいろいろやるわけです。そして残ったやるべきことはしっかり地道につづける。大切なのは無理せず疲れないように続けることです。続いてさえいたらいいという寛容な気持ちを持つことです。アマチュアだからはやくでかいことをしてプロになりたいと思いがちですが、それは大きな賞とかよほどのことがなければ無理です。それよりコツコツ続けて細かく活躍してればそのうちあの人はよく見るなと周りに気づかれはじめます。けっきょく、継続はまわりに安心感や信頼を与えますから。そこがないと仕事も来ないわけですし。あと大きな賞をとったら人生変わる場合もあるけれど、変わらない場合もあるので、大きな賞をとるまで結婚しないとか、賞に人生を預けすぎるような考え方はあまりしない方がいいとも思います。賞が人生を幸福にすると考えずに、そんなものがなくても小さな幸福を積み重ねた方が人生は楽しいと思います。そのうえでとれたらラッキーくらいのほうが。もしくは人生を預けるなら作品そのものじゃないでしょうか。最高の作品が書けるまでは結婚しないとか。それで相手に作品を見せて結婚を決めるとか。どうせやるならそれくらいの心意気の方が面白いのではないでしょうか。まあそれは冗談にしても、創作が大切なものだからこそ、それが人生のぜんぶだと思い込むのは自分を苦しめてしまいます。作品を書く時は悩んだらいいけど、作品を書いてないところで作品のことではなく、誰かの評価とか外部のことで悩むのは意味がほとんどない。だって相手がいないわけですから。ということはけっきょく自分自身に向かって話をしているのと同じなんです。だったらエクリチュールで書いて作品にするべきです。また同じ話でもいいじゃないですか。出力の仕方を変えて新しいものを作り上げれば。

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