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読書遍歴

    読書というのはけっこうなところ圧がかかる行為である。自分の言葉ではない誰かの言葉を自身の身体のなかに入れるわけだから。わたしたちがなぜ読書をするのかといえば、知らない世界を書物によって知るという好奇心からくる。それでは再読は?と自分で書いててすぐ疑問が浮かぶが一度や二度で(いやもっと回数が増えたところで)、本のすべてを理解することなど到底できないし、やはり知識を得たいという好奇心はあるはずである。わたしにも昔、すんなり水を飲むようにスルスルと入ってくる読書時代があった。大学生の時の話だ。大学に行ったり友人たちと遊んだりバイトに励んだりしていたはずだが、一人の時はたいてい本を読んでいた。読んでいたのは今とかわらず小説や詩だったが(現代思想や随筆は読んでなかった)、気になったものを手当たり次第に読んでいた。べつに速読をしているつもりはなかったけれど、一日に芥川賞候補作を六作一気に読んだりしていたからかなり読むのは速かった。今では考えられない速読でページをめくっていた。本を読んで眠くなって限界がきたら眠りまた起きて読んだ。空腹を感じたら食事をした。食事をする時間が惜しかった。食べながら風呂に入りながら本を読んでいた。思えばあの頃は読書に圧などまったく感じていなかった。ただ読みたいから読んでいた。見たことがない世界を知りたいという欲求はあったはずだが、読んだことでこれからの人生に役立つとかそんなことは考えてなかったし、そもそも自分が本を読むことで何か現実世界に少しでも影響が与えられるなんて発想はなかった。誰かの言葉が自分の身体に入り、それを自分のものにして、それを出すということ。創作でいえばインプットとアウトプット。たしかに卒論では研究したものを考えて自分の言葉に変換し大学に提出するのは、多少、圧があったと言えぬこともないが、それは正直、大学を卒業するためという個人にとってはオオゴトでも世の中にとっては些細なことだったし、わたしはさして真面目に勉強にはげむ学生ではなかったので、いま振り返ってみても大したことではなかったと心の底から思う。では圧を感じ始めたのはいつ頃なのだろうか。大学を卒業して地方のリゾートホテルでホテルマンとして就職した。とにかく忙しくて読書をする時間がなくなり、その時に自分がどれほど読書が好きなのか、いま渇望しているのかが明白に理解できた。休日には書店に行き、大量の本を購入して読んだが読めるのはわずかな時間の休日だけだった。仕事がある日はほぼ読むことができなかった。働くというのはこんなに忙しいものなのかと理不尽な気持ちを抱いた。つねにイライラしていた。二年で仕事をやめてホテルからそのまま大学時代の友人の新潟の実家に向かった(友人は大学卒業後、東京から実家に戻っていた)。車の中に二年間の生活品をすべて載せて、リサイクルショップで売り払いながら進んでいった。本もぜんぶ売った。ゼロになりたいと思った。新潟で散々遊んだあと、最終的に車も売り払い、自分の車を車屋に運転してもらい、駅でおろしてもらい埼玉の実家に帰った。まだ金はあった。だから250ccのバイクに寝袋と釣竿と調理器具だけ載せてそのまま、西に向かった。下道を走り続けて疲れたら公園で寝た。海岸の砂浜でも寝た。砂浜で花火をあげまくってる集団がいてうるさかった。暗い森の中で自動販売機のとぼしい灯りのまえで寝た。起きたら自分がどこにいるのかわからなかった。ぐんぐん走って島根にいた。防波堤で釣りをした。竿をから糸を垂らすが暇だった。その時、近くの本屋で文芸誌の『群像』を買った。五月の太陽の下、防波堤でゴロゴロ横たわり釣りをしながら文芸誌を一冊読みきった。気づいたら読み終わっていた。暗くなっていた。漁港の駐車場で釣ったカレイを唐揚げにして食べた。足りなかった。そのあたりから現地の人に食べ物をめぐんでもらいはじめた。ホームレスたちと一週間ほど生活した。ひとりのホームレスの持っていた地図帳で地名を当てるゲームをした。負けた方の罰ゲームは腕立て伏せだった。それ以外は釣りをしていた。九州にも行った。元々大して持ってなかった金も尽きかけていた。雨の中、駐車場で寝ていたら、目覚めた時にたくさんの人に囲まれていた。死体だと思われたのだ。食べ物をもらった。佐賀県の伊万里が居心地がよく、長崎に行っても夜には戻った。もうそろそろ旅は終わりだとわかっていた。金が一切なくなり、地元の掃き溜めのような工場でバイトをした。毎日毎日、かわりばえのしない日々。変な人間ばかりで面白かったが、自分自身も真っ当でないところにいってしまった。世の中の厳しさが身に染みたのはきっとこの時だったと思う。本当にどんなふうに転んでもおかしくなかった。本を読んだ記憶もほとんどない。そんな余裕はなかった。二十六歳の頃だ。卒業文集にペンキ職人になりたいと書いてあったのを思い出す。職人にまだなってないじゃないか。何もなかったが就職先を探した。ペンキではないが工芸品の職人にはなった。職人の仕事で安定し少しずつ読書をするようになった。三十三歳の時に結婚してハネムーンにバリに行った。ハンモックに揺られながら幸福を感じていたが、東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』を読んでいた。その時。「このままでいいのか?」という声が聞こえたのだ。『クォンタム・ファミリーズ』には村上春樹の「プールサイド」という短篇の話が出てくる。三十五歳で人は折り返しをむかえる。登場人物の水泳選手はその年齢になった時に涙を流す。雷にうたれたようだった。唖然とする。ハンモックから起き上がり、妻を眺める。楽しそうな表情。たしかにいまここに幸福な何かがある。しかし「このままでいいのか」。ハネムーンから戻ったあと、学生時代の頃のように読書を再開する。仕事で忙しい分、小説より詩を読むようになる。ひたすら読む。学生時代に読んだ近代詩人だけでなく、現代詩人も読むようになる。三十五歳の時に詩についてのZINEを作製する。そしてそこから創作活動が始まり三十八歳で本屋を開業する。周りの人々がどう思うかはわからないが、順風満帆とは到底いえない。ただわたしは本を読んで読まなくなってまた読んで生きてきた。いまは本屋になり読んでいる。しかし、この先はわからない。もちろん本屋を続けるつもりでいる。だからきっと読み続ける。話を戻そう。読書には圧がある。しかし、考えてみれば弱い自分に圧をかけるものは世の中にあふれているのだ。闘うこともあれば逃げることもあるだろう。闘争と逃走。わたしたちは(あえてわたしたちというが)、こんな世界でも生きていかなければならない。おそらく、「それでいいのか?」と問いただしたのは自分自身だ。余裕がない時には聞こえなかった。余裕がある時だから聞こえたのだろうが、それに答えるかどうかも自分次第だろう。無理をしてもいけない。昨日から大江健三郎の『万延元年のフットボール』を久々に読んでいる。一人称の「僕」が語り手で、とにかく強度の高いものが読みたかった。とても読書が楽しいという感覚がある。そして同時にこの世の中に対するあのころの怒りが深く深くよみがえってくるのを感じる。「このままではいけない」と強く思う。わたしたちはこんな世界を変えて生きていかなければならない。

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