アマチュア創作の秘奥義(四)

    昨日は双子のライオン堂でトークイベントをやりました。本屋の話だけじゃなく創作の話にも多少なったのですが、最後にお店は続けられると思いますよ、と口にしました。ただ金銭面的なことよりも、継続するモチベーションを一体どこから持ってくるのかという精神面の話をせずに終わってしまったので忘れないうちにここに書いておくことにします。このへんのことは昨日のエッセイの流行りに対して思うところがある、という話とかかわってくるところでもあります。とにかく創作を続けるにしろ、お店をやるにしろ、安定したモチベーションを生み出すためには、疲れないようにやることです。ここはほんと大事で、ものすごく頑張って仕事で結果出しても、その後無理がたたって病気になってしまったらあまり成果の意味はないと思うんですね。いや、仕事の成果自体はあるんですが、自分自身の身体が今後続けにくい状態になってしまいます。やれることのキャパが小さくなってしまう。せっかく元々あるキャパの大きさをわざわざ小さくしてしまうのはもったいないわけです。べつに才能はいらないです。自分自身にできることをしっかり把握したうえで、その範囲内でやれることをやったら満足感はあって続きます。だけど、そこでまだまだいけるなと無理をして結果を出しにいくと喜びは大きいかもしれませんが、けっきょくそれってあとでツケがまわってくる。でも思いっきり夢中でやってる時って自分がどんな健康状態なのかってことがけっこうわかりづらい。だからつねに自分がいまどういう状態か自分に訊く、確認するというのが大切です。いまこうして文章を書くのもその確認作業のひとつですね。何度も何度も無理しないでよ自分、と書くことで確認しているわけです。繰り返しすぎというくらい自分自身と身体や精神状態の対話を重ねたほうがいい。そう思います。そもそも創作を仕事にしていくなら繰り返すしかない。変化は入れつつ繰り返す。感覚としてはスパイラルさせながら少しずつ螺旋階段のように上昇させるイメージ。同じことをやっているんだけどステージは上げる。そんな感じです。自分自身を納得させられたら、つぎは他人との比較をしないようにします。刺激を受けるのは必要ですが嫉妬の感情は必要ない。理由は遅くなるからです。僕の場合だったら、創作はエッセイ、書評。本屋界隈。活躍している人や店をみたら気になるし、うらやましい気持ちも出ますが、嫉妬したくなるような比較はしません。でも感情だから知らぬ間に出る可能性はあります。だとしたら対策するしかない。その方法の一つ、というか思い込みの言葉が、「あんな活躍してたら疲れるだろうなあ」と相手のことを思うようにすることです。さっきも書いたように疲れることはしすぎない方がいいわけです。それだったら活躍している人たちと同じことをやったら自分は疲れるからやめておこう、と思うようにする。あとは流行りのものに対してチェックはするけど、べつのものに今は興味があると思う、そして口にするということです。僕はいま本屋なのでエッセイ特集が流行ると知り合いの作家の本を仕入れてますから売る機会が増えてうれしいです。だけど書き手としてはエッセイを書いていますからまわりは活躍しているのにと焦る気持ちも本来ならわくと思うんですね。だけどそれがぜんぜんない。それはなぜかといったら、やっぱり普段から他の本も読んであれもこれも好きなことは好きと口にすることでいつでも引っ張ってこれるんです。エッセイや日記が流行ってる雰囲気なら、その時に僕はフーコーやドゥルーズは良いなあと哲学の話をします。もっとエッセイに近いところで話をした方がよければ私小説の話をします。西村賢太や小谷野敦が好きだとか。文章を離れて絵を描くのがいまは楽しいからと言うこともできます。それはやっぱり逃げかもしれないんですけど、そこの移動がスムーズにできれば嫉妬は本当になくなります。どんどん軽くなり何も気にならなくなり疲れなくなります。結果、創作はどんどん続く。続けてると少しずつ声がかかるようになる。好循環が生まれる。スパイラルの。

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