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アマチュア創作の秘奥義(ニ)

    前回の執筆からだいぶあいてしまいました。理由があるとすればそれは僕がこの期間に本屋を開業したことでしょう。昨年の11月に物件を決めて、今年の5月27日に開業しました。場所は本郷で最寄りの駅は水道橋。本屋の名前は機械書房といいます。本屋の準備で忙しくて創作がなかなかできなかったというと、じつはそうではなくて、年明けからは絵本の絵をずっと描く仕事をしていました。ようやく出版の目処がたち、本屋の方も落ち着いてきたのでボチボチ続きを書きたいと思ったのでいま書いています。
    ここのところ読書について考えることが多いので、今回は読書を起点に話をすすめていきます。本に関する創作をしている人間にとって読書は欠かすことができないものです。創作をしている全員が全員、読書を好きかといえばそんなこともないかもしれませんが、僕の知るかぎり、文章を書いてやっていこうという人たちは読書をしっかりしている人たちばかりです。特にリアルタイムで活躍している作家の作品は敏感にチェックしている気がします。やはり創作は「いま」なぜそれをつくるか、というのが評価と関係してくるので、周りの作品を読みつつ自分なりの作品を仕上げるというのは重要だと思います。まあ、ただこれは一般的にプラスに働くだろうというだけで、アマチュア創作の秘奥義的には、「いま」流行っている作品を読むことによって誰かと自分を比較することに慣れるというのはすごく意味があると僕は考えています。活躍している人間の作品を読むと比較してしまいつらいかもしれませんが、その意識は本当に必要がありません。人と比較していいことなんて創作において意味がない。自分の創作が停滞するだけです。でもそうは思ってても周りの活躍というのはなかなか気になるものです。読まないと避けるよりも読んだ方がいいとわかってても、やっぱり読むと気になってしまう自分がいる。ではその時にどうしたらいいか。そこで僕はこう考えて楽にしてます。それは「けっきょくのところ読書さえできてれば幸せで自分の作品なんてどうでもいい」という考え方です。これはべつに創作にかぎったことではないんですが、自分にとっていちばん大切だと思えるものほど程よい距離をとらないと駄目です。そもそも誰かが気になってる時点で没頭しきれてないわけです。ほんとうに好きなことを好きなだけやってるなら誰かのことなんて気にならないはずだから。だけど気になってしまう。それならいまやっているそのいちばん大切な創作からいったん距離をとってみる必要がある。ただし大切なものをわざわざ下げるのではなく、その元々の根幹のもの、この場合は読書ですが、そこに立ち返るように仕向けることで心に余裕が出るわけです。自分自身は読書さえできていればよいと思えれば、誰かが創作で成功してても嫉妬の感情は減じるはずです。すごいけどきっとあの人創作をそんなにしてて大変だなくらいに思っておいたらいいです。そして、自分は大変な創作よりも読書さえしてればほんとうは満足なんだと思い込む。読書さえできればいいんだからSNSで読書の感想をうまくやって目立つ必要もない。ただひとりでしずかに本を読む。誰にも話さない。そしてそれがいちばんの幸福なのだと。そうして読書をして余裕ができていまならまた創作ができると思ったら再開すればいい。それを繰り返すと誰かに嫉妬することはなくなります。嫉妬がないと自分のつくるものに集中できるからどんどんつくれるようになります。評価もあまり気にならなくなる。継続していると、この人は作品を量つくれる人だとまわりから認知されます。ここでは質は気にしなくていいです。なぜなら僕たちはアマチュアだからです。アマチュアなんだから好きなものを好きにどんどんつくったらいい。自分が面白いと思うやり方で試行錯誤して。自分の作品なんてどうでもいいと距離を置いて。しかし、じっさいは好きなものをつくることができているならば、そのことが馬鹿げていると思えてくるはずです。その時にこそ本当の意味で自作をフラットに眺めていることになります。そこに到ってしまえばアマチュアだからと自分の作品を恥ずかしく思うなんてことは霧散します。質を上げるために人にみせてブラッシュアップさせるなどその先にも難なく進めるはずです。そしてそれを続けていけば、仕事になる日もくる。本当の意味で作家になるんだと思います。本の仕事はすべては読書からはじまる。そう僕は思っています。
    SNSの時代にいちばんむずかしいのは、自分の言いたいことを口にしないで我慢することかもしれません。村上春樹なんかもそうでしょうが、作品以外の部分で文章に余計なエネルギーを使ったり、見たくない文章をみないためにSNSをやらない作家はけっこういます。ただ最近の傾向でもありますが、文学フリマやSNSの発信があるからこそ注目を浴び活躍する作家もつぎつぎとあらわれてます。ここで重要なのは自分ひとりで作品をつくって完結しているならば好きに発信していいですが、活動が広がっていくと自分以外の人間が関与する機会もまた広がります。何でもかんでも自由にというわけにはいかなくなります。でも告知など言いたいことはある。そうするとモヤモヤがたまります。僕はわりとやってますがSNSで言って大丈夫なラインを見極めてギリギリ攻めることもやれないことはないですが、それは意外とむずかしい。ふだんから煙幕のように、様々な発信で撹乱してないとそのラインを探れない部分がある。ではどうするか。その解決方法のひとつは、同じく創作をしている人間に他の人には見えないところで話すということです。裏で話をするわけです。それでスッキリする。つまり簡単にいうと創作のことを気楽に話せる友人をつくるということですね。前回、創作は酷く孤独なものでだから楽しいと書きましたが、創作をしている真っ最中以外では誰か友人がいて相談できた方がいい。でもなかなかこういう場って学生のころとかはあるんですが大人になるとない。それで僕がつくったのが機械書房です。本屋だけでなく文学サロンとして本のことを好きに話せる場をつくろうと思いました。この効果は少しずつですが出てきているような気がしてます。この二ヶ月ちょっとの間でいろんな書き手の方と話をしてきました。その場だけでの裏話。創作のことで話をしたいことや裏話があったらぜひお越しください。冷たい麦茶でも飲みながらゆっくり話をしましょうよ。

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