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先天性福山型筋ジストロフィー症の愛娘たち😌

今日は愛娘たち25歳のHappy
Birthday🎂“あっ”と言う間の25年間だったような気がします💦

娘たちは[先天性福山型筋ジストロフィー症]という難病と共に産まれてきました。筋ジストロフィーは、筋肉が再生することよりも壊れていく方が圧倒的に多い病気で、25歳になった今でも首も腰も座っておらず、寝返りも出来ません。心臓も筋肉で動いてるため、いずれは…

世界的に筋ジストロフィーは[デュシェンヌ型]が多いのですが、日本人に多いのは[福山型]で、その中でも歩ける方1割、ポピュラーが7~8割の[ホモ型]と超重度1割の[ヘテロ型]に分かれ、娘たちは[ヘテロ型]に属してます。医師曰く「日本にも数人しかいない」んだそうです。

あたしも相手も[保因者]と呼ばれる者で、自分たちに症状は出ないけどDNAの欠陥を持っていて[保因者]同士での子供は1/4の確率で[福山型筋ジストロフィー]が産まれます。[保因者]でも[福山型筋ジストロフィー]でもない確率も1/4、[保因者]の確率は2/4になります。

父または母 母または父
    🌗─🌓
     │ 
  ──────────
子 │  │  │  │
  🌕  🌗 🌓  🌑 [健常][保因者][障害]

となります。(分かりづらかったらスミマセン🙏🏻🙇‍♀)

生後3ヶ月過ぎても首が座らず検診で「障害があるかも…」と言われ、障害者の病院で「福山型筋ジストロフィーだと思われます」と言われ生後半年すぎから病院のリハビリを受けていました。生後10ヶ月で
「福山型筋ジストロフィー症の中でもかなりの重度だと思います。10才まで生きられるかどうか…」この頃すでに離婚に向けて別居してまして、1人頭の中でグルグルしてました。

1歳4ヶ月の夏、2人とも熱が出てそれぞれ入院。自発だけで呼吸することが困難なため鼻から管を入れて人口呼吸器。次女は管を入れた直後に呼吸停止。病院で最後の1台だった呼吸器を長女が使ってるため、他の病院に救急搬送。直ぐに退院出来るかと思いきや、そのまま病院生活になるなんて思ってもみませんでした。

2人とも鼻からの管抜くことが困難で「このまま管を入れっぱなしは難しい。喉に穴を開ける手術をするしか…他にこの子たちが生きる方法はない」選択の余地はなかったけど、なかったことに感謝している。「開けたほうが良いと思うけど、どうする?お母さん」って言われても選べないよね…娘たちの事は総てあたし1人で背負うと決めてたので、3日間考えて答えを出しました。「手術…お願いします」


平成9年9月30日次女が11月13日長女が、声と引き換えに生命をつなぎ、7時間の手術を無事に終えました。気管切開という手術は、平均10才頃にするのだそうですが、娘たちは…
「1才半で余儀なくするということは、それだけ重度だと覚悟してください」

その後、肺炎を繰り返し「3歳まで生きられるかどうか…」そう言われた娘たちが25歳!それぞれが胃に穴を開ける手術もし、痙攣からなる[呼吸停止]を何回かし、長女は昨年の10月に[心肺停止]までやってくれました😥24時間呼吸器となり、呼吸器が体の一部になったけど、娘なりに少しづつ回復して元気に過ごしています。この時の主治医に「やっぱり○○ちゃん、強いねぇ~💦さすがお母さんの子供だね」と言われました😅

今、世の中はコロナ禍で、当然病院はどこも面会謝絶で…娘たちも頑張ってる。だから、あたしも笑顔で明るく、コロナやインフルエンザや他の病気も跳ね飛ばし心身ともに元気に過ごして、良いエネルギー&パワーを愛娘たちに送り続ける!それが今のあたしに出来る事。

娘たち2歳の時、家に連れて帰りたかった…「母親だから、あなたが連れて帰りたい気持ちは痛いほど判る!でも、24時間医療が必要なこの子たち1人でも、あなた1人では無理なのに2人ともなんて無理なのよ。娘たちの命を優先するか、自分の我を通すのか、よく考えなさい」母のように慕っていた看護長に言われて長期入所の手続きをして今日がある。

手放したことを後悔した時もあったけど、自分の我を通さなくて良かったと思ってます。我が子たちだから自分の手元で育てたい😢短命だと言われたなら尚…でも…一緒にいるだけが、自分の手で育てるだけが[愛情]じゃない😣一緒にいる時間が少なくたって、自分の手元で育てること出来なくったって[愛情]は注げる。苦渋の選択だったけど、娘たちの生命を優先することを選択しました。数多の医療従事者たちと、医療従事者たちとあたしの間に入ってくれてる方々、目に視えない数多の御加護と、そして娘たちの生命力の強さに心から感謝しています🙏🏻🙇‍♀

長く拙い文章をご覧いただき、ありがとうございます🙏🏻🙇‍♀