結果ではなくプロセスに注目しよう

 今のこの自分がそのままでいいかといえばいいわけではありません。勉強についていえば、まだ十分力がついていないのであれば、よりよい成績を取るべく努力する必要があります。

アドラーは、より上を目指して努力することを「優越性の追求」と呼んでいます。ところが、努力しないで安直な方法で他者よりも優れようとすることがあります。受験は他者との競争のように見えますが、基本は自分の問題です。力がつけば結果として試験でいい成績を取れるというだけであって、他者に勝つことが勉強の目的であると考えると妙なことになってしまいます。

 今の世の中は成功することが大切で、困難に立ち向かいそれを切り抜ける力があるかどうかで判断されないので、どんなに頑張っても結果がすべてである、結果を出せなければ努力しても何の意味もないと考える人がいます。

 そのような人は、競争に勝てている間は問題は起きないかもしれませんが、思うような成績を取れず、そのことで親に叱責されたりすると、精神的に落ち込むか、とにかく結果を出さなければならないと考え、カンニングのような不正行為を働いていい成績を取ろうとします。

 最初は不正という意識すらありません。高校生の時、先生が配付したプリントを見て、これは先生が自分で作った問題ではないと直感した私は授業後書店へ行きました。すぐに先生が使っている問題集を見つけました。答えを写すのではなく、自分で問題を解いてから、それが正しいかどうか解答集を見るのであれば不正ではないと考えたのです。

 しかし、一度答えを見てしまうとやめることができなくなります。自分で解いたとはいえ答を見てしまっているわけですから、先生から当てられた時、完璧に答えることができました。「君はできる」そういわれた私は、以後、よくできる生徒でなければなりませんでした。

 しかしいうまでもなく、先生によく思われたいというようなことは勉強の動機としては望ましいものではありません。勉強ができるように「見える」ことではなく、実際に、勉強が「できる」ことが大事なので、勉強ができないのにできる生徒と思われてもまったく意味がありません。

 勉強は、優秀であると思われるためにするものではなく、人に役立つためにするものです。その意味では、よく思われるために勉強する子どもは自分にしか関心がありません。優秀であると思われるためであればカンニングのような安直な方法で優れようとすることを、アドラーは「個人的な優越性の追求」と呼んでいます。

 仮に地道な努力をしないで成功したとしても、そのような成功はすぐに失われてしまいます。親は、ただ結果さえ出せればいいというものではないことを子どもに教えなければなりません。そのためには、結果ではなく、「頑張ったね」というふうに結果に至る過程に注目する言葉をかけましょう。思うような点数を取れなかった時も、失敗することを怖れずに次回に挑戦できるよう、決して子どもを叱らないことが大切です。
(中学校受験をする親のために書いたエッセイから)

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