見出し画像

女の戦場から抜け出すということ

私が最もばからしいと思うこと。それは、同性と競うこと。

あの子よりもちやほやされたい。
あの子よりも賢い子と思われたい。
あの子よりも美しいと評価されたい。
あの子よりも異性をうっとりさせたい。

どうやら同性と競う人は、大なり小なり同性を敵として見なすことが癖になってしまっている気がする。

だけどそれを続けているうちに、きっと表情は険しくなり、相手の欠点を探すことで忙しくて自分を内省する時間を失くす。そうして隠しきれない棘が、容姿や言動から垣間見えてしまう。

そういえば、私の周りにいる、いつ見ても容姿や心が美しいなぁと心から惚れ惚れしてしまうような女性の口からは、「誰それの方が云々」だとか「誰それなんか大したことない」といった同性を貶める言葉を聞いたことがないように思う。

もちろん、彼女らの美しさが圧倒的だから、わざわざ他人と自分を比べてまで優越感を感じたいと思わない、ということもあるのかもしれないけれど、それよりも彼女たちは知っているのでは無いだろうか。人を貶したり、歪めて見ることは自分自身の花を枯らし、醜くすることだと。

基本的に女の子という生き物は、つるむことが好きだ。

時に心にも無い言葉で煽て合い、趣味嗜好に合わないものに対しても汎用性の高い「可愛い」で場の空気を保ち、時々その場にいない女の子の悪口を言ったりもする。

だけど、そんな風に同性を意識し、競い、悪口を言い合って、個性や知性を擦り減らして、いたずらに歳を経っていくくらいならば、思い切って群れから離れてみればどうだろう。

今ひとつ好ましく無いと思うなら一切視界に入れない。素敵だと思う仕草や感性が目についたなら参考にする。そうやって昨日の自分よりも魅力的な自分を構築して行く方がずっと建設的且つ効率的じゃないだろうか。そう、本来競うべき相手は同性ではなく、昨日の自分である筈。

私よりも若いあの子。
私よりも美しいあの子。
私よりも活躍するあの子。
私よりも幸せそうなあの子。

考え始めれば、キリが無いこと。だって神様は不公平なのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?