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「おしゃれ」より「ダサくない」が難しい

Kishiko Maeda

誤解を恐れずに言うと、「おしゃれ」になるということはそれほど難しいことではないと思う。

最も手っ取り早いであろう手順を述べればこうだ。書店に行き、自分がおしゃれだと思ったファッション雑誌を買い、自分が一番気に入ったコーディネートをそのまま真似をすれば良い。それをある程度続ければ、人からはおしゃれな人だと評価され、そのジャンルで突出しているブランドに関してもそれなりに詳しくなるはず。

然しながら、そんな風に手に入れた「おしゃれ」は往々にして何処か薄っぺらかったりもする。私は思う。「おしゃれ」=「ダサくない」では無いと。そして、「おしゃれ」になるよりも「ダサくない」方が、よほど難しい、と。

考えてみると、私が思うずば抜けてセンスが良い人は、有名なブランドの洋服を着ている風では無い。明らかに高価そうなものや、雑誌で見たことがあるアイテムを身につけている訳でもない。それでも、思わず姿勢を正さずにはいられないような、とびきり洒脱な佇まいをしている。

それはどうしてなのだろうか。日々考察するうちに、私は一つのヒントを見出した。彼や彼女らには、一つもダサいところが無い。文句のつけようがないほどに、ダサいところが無いのだ。別に気合を入れたコーディネート云々、ということでもなく、譬え明らかに適当に選んだ部屋着でいたとしても、自分のものになっている。

それはきっと、その人の感性の美しさがなせる術なのだろう。彼らの思考や嗜好を垣間見る限り、日常生活から、自分にとって美しくないもの、好ましくないものを排除していることは明らかだ。

そのように感じてからは、私もなるべく、自分の暮らしから「ダサい」と感じるものを取り除くことに注力している。そのうちに背伸びをせずとも、自ずと洗練されてゆくのかもしれないと淡い期待を抱きながら。

もちろんそれはファッションやライフスタイルに限ったことではない。言葉や感情、生き方、仕事。きっと総てに言えること。

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