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息をするように贈りものを

贈り物をするという習慣が私の生活の一部になったのはいつからだろう。

別に高価なプレゼントに贈るというわけではない。それどころか、頻繁に贈り物をするようになってからというもの、プレゼントだからと言って何万円もするようなものを買うことは殆ど無くなった。その分増えたのは日常のほんの些細な、何でもない日の何でも無いもの。例えばアールヌーボーのパッケージに菫の絵が描かれたイタリアの昔ながらのラムネだとか、町のはずれにひっそり佇む喫茶店の洒落たマッチ箱、ミニチュアサイズの香水、それから恍惚とするような色味のリボンを1メートル。

興味の無い人にとってはどれも単なるガラクタに過ぎないかもしれないけれど、幸い私の友人は皆子供のような無邪気な笑顔で喜んでくれる。だから私も臆面無く差し出してしまうのだ。理由をつけるとしたら「今日会えたことが嬉しいから」

プレゼントには一言コメントを添えるのも愉しい。カフェの愛らしいコースターをカード代わりにしたり、鳩居堂で買ったミニカードを使ってみたり。季節の変わり目ならば気の利いたレターセットにお気に入りのペンで少し長いメッセージを書いてみるのも好い。たとえ日頃からLINEで遣り取りをしていたとしても、思いがけずそれとは違う愛おしい言葉が飛び出たりもするもの。言葉もまた、素敵なギフトになるのではないだろうか。

大切な人に対して見返りを求めることなく贈り物をする度、自分自身もひたひたに満たされた幸せな気持ちを得られる。これもまた神様からのギフトなのかもしれない。


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