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【海外取材トラブル記】 〜ドバイでパスポートを無くして、運転免許証で帰国した話〜


2018年7月。ことの始まりは、ドバイ空港の乗り換えだった。

この時、私はウクライナの取材を終え帰路についていた。
その2日前には、ウクライナ軍とロシア派民兵が対峙するボーダーラインにいた。10キロ近い防弾チョッキを着込み、死んでも文句言いません(意訳)という書類にサインして国連職員の運転する防弾車に乗り、砲撃を受けた民家を撮影していたのだ。その時は、一種の興奮状態になっており眠気も疲れも感じなかったが、キーウの空港から帰路に着いた途端、一気に疲労が押し寄せてきた。

ドバイ空港。
4時間の乗り換え時間があったので、ますは空港内の薬局に向かった。
筋肉痛薬の「ボルタレン」を買うのだ。
この薬は、重い機材を担いで動き回ると必ず悩まされる、首の痛みや腰痛を一瞬で消し去る魔法のゲルだった。
海外の薬局で買うと、日本で買うより随分安く手に入るし、薬効成分の濃度が高いものも手に入る。取材の必携品だったので、海外の空港で補充するのがルーティンになっていた。

空港内の薬局に到着。
すぐに目的のボルタレン・ゲルが見つかる。平静への第一歩だ。安堵した気持ちでレジに向かうが、疲れていたのか支払い時に財布や小銭をボロボロ落としまくる。屈んで拾おうとすると、さらに別の荷物がぼとぼと落ちる。薬局のおばちゃんも「あら、大丈夫?」と言いながら、笑いを堪えている。並んでいる客らもくすくす笑っている。

慌てて、床に散らばった小銭や搭乗券を拾い集めて、逃げるように支払いを済ませ、そそくさと薬局を出る。

直後から、拾い忘れたものがないかと気になって、財布を開くがクレジットカードやドル紙幣もきっちりと収まっている。
「何かが足りない。」ふと、そんな気配がしたが、わざわざもう一度薬局に戻って探す気にもなれない。
「疲れた、座りたい・・・」と、近くにあったベンチに腰掛ける。座ってから落ち着いて持ち物を確かめようと考えていたら、いつのまにか寝落ちしてしまった。

空港内のソファーで、目が覚める。
時計を見ると、90分以上経っていた。
まずい、成田行きの便の搭乗は始まっている。
というか、ゲートのクローズまであと15分しかない!

慌てて搭乗ゲートへ走る。ドバイ空港は横に長い。800m近く走ってクローズ直前の搭乗ゲートに滑り込むが、案の定パスポートが見あたらない。
薄々知っていたいやな現実が、目の前に形となってあらわれる。
NOパスポート、NOフューチャー。

ゲート前に、銀髪の執事のような出で立ちの航空会社職員が立っていたので、出来るだけ平静を装いクールに尋ねる。
「すみません。ちょっとおたずねしたいのですが」と声をかけると、執事風職員が恭しく一礼する。

「私のパスポートが見当たらないのです。この便はもうそろそろ出発ですよね?どうすれば宜しいでしょうか?」

彼は丁寧な口調で「パスポートが無いと搭乗できません。案内所で拾得物を確認するか、心当たりの場所をお探し下さい」と言いながら、進路に立ちふさがる。
「もう、出発しますか?」と聞くと、執事は「間も無く」と非情に答える。「間に合わない場合は?」と聞こうとすると、彼は先回りして「ここではなく、航空会社のトランジットカウンターか、近くの職員にお尋ね下さい。」と隙のない答えで、会話を強制終了させる。

門前払いとは、このことだ。
非常にまずい事だけがわかった。

しばらくすると、付け入る隙のなかった執事風の職員が、無線を持ってどこかへ消えていく。
入れ替わり、肉付きのいい色白の若い男がゲートにやってきた。どこかで見たことのある顔つきだ。
そう、料理評論家の彦まろだ!

全くの第一印象だが、執事風の職員より彼はも融通が効きそうだ。
彦まろ風の係員を捕まえて、トーン高めに、そして親近感を込めてお願いする。その方が、彼には刺さりそうな気がしたからだ。

できるだ親しみを込めて、フランクに切り出そうではないか。
「ちょっとごめんやけど、わしパスポートあれへんねん。でも、どうしてもこの飛行機乗りたいねん。となりのターミナルで寝てたら、パスポートなくなったねん。でも、コピーはあるで。本物。あやしくない」。

ドバイの彦まろは、「えー、でもパスポート無いんですか?」と驚いた表情だ。そして申し訳なさそうに「パスポートがないと、乗せられないんだよ。それに、あなたも日本に入国できないでしょ」と、困った表情を浮かべる。

すかさず、畳みかけるように「日本のIDカードがあるから大丈夫」と言いながら、運転免許証を取り出し、彼の掌に無理やり置く。「いや、読めないよ・・・」と、困惑する彦まろ。

「エントリーOK(入国できる)」「ジャパニーズ・シチズンシップカード(日本人の証明あるよ)」「ノープロブレム(問題ない!)」など、偏差値30風味の英単語を並べただけの会話で、彦まろに考える隙を与えない。

さらに、スマホで「パスポート紛失、空港」で検索すると出てきた検索結果の「旅券法19条その3」なる条文(日本語)を彦まろ見せる。

『帰国のため特に必要があると認める場合には、前3項の規定にかかわらず、渡航書を申請に基づかないで発行し〜云々』と書いてある。
気が動転してるので、よくわからない。
いや、落ち着いていてもよくわからない。

こちらが黙っていると、彦まろに隙ができて応援を呼びにいきそうな気配がしたので、「ノーパスポート・ノープロブレム(パスポートないけど大丈夫)」「フォーリン・アフェアーズ(外務省)」「スペシャル・エントリー・パーミッション(特別な入国許可証)」と、知っている単語をひたすら投げつけて、押しまくることにした。

もはや、英語の原型を成さない、エジプトの物売りも逃げ出すひどい単語の
羅列会話だ。バカの大王が1000年ぶりに降臨したかの勢いだった。
あまりのバカっぽさに、我ながら鼻血が出そうになる

しかし、彦まろにはこれが効いているのか、困った顔で何度もうなずいている。彼の目に怯えの色が走る。

「いやだ・・・こんな面倒な客に関わりたくない・・・」という、オーラがにじみ出ている。

これは、チャンスだ。
最後のダメ押しで「成田・イミグレーション(成田の入国管理)、スペシャル・パーミッション(特別許可証)、トウ・イシュー(発行)、OK!」を連呼し、搭乗券を彼の手に押しつける。

彦まろは、「えっ、本当に?!」という狼狽の表情を浮かべるが、観念した雰囲気で搭乗券のバーコードを読み取り始めた。まさかの夢にまで見た瞬間。
座席の番号が書かれたレシートが発行される。「ああ、俺は日本に帰れるんだ。

搭乗券の半券を手に、このドバイ空港の滑走路から離陸する自分を実感する。彦まろは、最後に首をすくめて「どうぞ」という仕草搭乗口を指し示してくれた。

満員の機内に座るも、いつ引きづり下ろされるのかとひやひやしていたが、ドアが閉まって、滑走ロを走り始める。
目をつむり、ぼんやりしながら、後ろのアラブ人も前の日本人カップルも、横のインド人の家族も、みんなパスポート持ってるんだよな・・・とふしぎな気持ちになる。

俺だけ持ってない。唯一持ってない、俺。
何者の庇護も受けず、どんな国籍も証明できないこの状況が、極大の自由を得たかのような錯覚となる。自由への旅立ち、ブレイクフリー!!!!!
いや違う、単なる落とし物の話だ。

成田についたら何が起きるのか皆目見当も付かず、ずっと落ち着かない。PCを取り出してみたが、心がざわついて作業が手に付かない。

とりあえず、今日中には家に帰りたいななどと考えながら、機内映画のタイトルを眺めながら、何となく目に止まった不朽の宇宙船クライシス映画「ゼロ・グラビティー」の再生を押す。

われわれを乗せた成田行きの便はしばらくすると、気流の悪い場所に入り、ベルト着用サインが点灯する。ガタガタと不規則な揺れが続木、時折どすんと機体が急降下したような揺れに見舞われる。

視聴中の「ゼロ・グラビティー」では、主人公の乗った宇宙船がたびたび事故に巻き込まれていく。映画のシーンと飛行機の揺れが見事にシンクロし、エコノミー席が4D MAX化する。
音と揺れがリアルすぎる。臨場感がハンパない。なんだこの視聴体験は!
気持ち悪い・・・吐き気をもよおす。

成田空港。
機体から降りると5歩も歩かないうちに、「キシダヒロカズ様」と書いた札を持って立つ航空会社職員が視界に入る。
目が合い会釈するとと、たちまち数人の係員が走り寄ってきて囲まれる。「岸田さんですね、ドバイ空港で、あなたのパスポートが発見されました」「明日の便で、パスポートが戻って来ます」と、矢継ぎ早に告げられる。
無くなったと思っていたパスポートが見つかったという。諦めた何かが、再びこの手に戻ってくる。ちょっとした奇跡。

今の状況が、機体と一体化しながら観た「ゼロ・グラビティー」の、ラストシーンとシンクロする。最後は、主人公役のサンドラ・ブロックが、九死に一生を得て地球に帰還する。
一度は諦めた私のパスポートも、成田に帰還する。
見事に重なる。
いや、重なってないか・・・

航空会社のスーパーバイザーの肩書きの男性職員が、「これから、説明する方法で、入国審査を行って下さい」と、説明をしてくれる。

そして、ふしぎそうに「ところで、岸田さんはパスポート無しで一体どうやって搭乗されたんですか?」と尋ねてくる。自分でも、よくわからない。「お願いしたら乗せてくれたんですよ。」と口に出してみたが、輪を掛けてバカっぽかった。それが事実だが、全方位的にダサい。

航空会社の係員に言われたとおり、成田入管の事務所に行き、顛末を話す。担当者は、なるほどと頷きながら「旅券の紛失ですね」と抑揚なく言い「身分と国籍を証明できるモノを見せて下さい。一時帰国書を発行します」と告げる。あとは、ひたすら事務的に作業を進めてくれる。「身分の証明は、運転免許証でいいですよ」。

なんと、私がドバイで連呼した、当てずっぽうの言葉が現実化する。「IDカード(運転免許証)で、ジャパンのシチズンシップを証明し(身分を証明し)、成田イミグレーションがスペシャルパーミットをイシューしてくれる!!(成田の入国審査が、入国許可証を発行してくれる)」。
バカ英語のおかげで、東京に生還できたのだ。

最後に、入管係員がしつこく「機内での紛失ですよね?」と尋ねてくるので「ドバイ空港での紛失です」と訂正する。係員は「うーん、どうやって、パスポート無しで搭乗できたんですか?」と腑に落ちない様子でいる。経緯は説明できるが、理由はわからない。彦まろのおかげだ。

そういえば、機内で吐きそうになりながら観た「ゼロ・グラビティー」では、主人公役のサンドラ・ブロックが地球への生還を諦めかけるシーンがあった。その時、死んだはずの同僚・ジョージ・クルーニーの亡霊があらわれ彼女を励ますシーンがあった。同僚の亡霊が放った名言で、主人公は再び地球を目指すのだ。
「必ず何か方法がある。着陸も発射も同じだ。生きて帰りたければ逃げちゃダメだ。もっと旅を楽しめ」

私も成田に帰還できた。

必ず何か方法はある。パスポートも免許証も同じだ。日本に帰りたければ、逃げちゃダメだ。もっと旅を楽しめ!

大事なものは、チャックのあるポケットにしまえ!


#バカ英語炸裂
#なぜ乗れたのか
#運転免許証で入国できる
#旅券本体は別便で帰国
#ゼログラビティー

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