こころの在り処と、そのかたちを教えてくれたヴァイオレット・エヴァーガーデン
今日、『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観てきました。
感想文を書くのがほんとうに苦手なんですけど、上映中に泣きじゃくる一歩手前まで号泣したので、さすがに書かずにはいられなくなってしまいました。
俺がこの作品から受けとったものを、ていねいに、たいせつに、書こうとおもいます。
「あいしてる」の意味
まずは、みなさんの楽しみを奪わない程度にあらすじを説明します。この物語の主人公は、ヴァイオレット・エヴァーガーデンという少女兵です。彼女は戦場にしか生きる場所がなく、人の感情を知りませんでした。
そんな彼女が、瀕死の直属の上官に「心から、あいしてる」と言われたことから、「あいしてる」の意味を模索するようになる、という物語です。
戦争終結後、ひょんなことから彼女は手紙の代筆業、「自動手記人形」として働くようになりました。この物語は、識字率の低い世界を舞台にしていて、ヴァイオレットは直属の上官に文字の読み書きを教わっていたのでした。
手紙の代筆を通してたくさんの人のこころに触れていくうちに、無機質だったヴァイオレットは、人のこころ、ひいては「あいしてる」の意味を少しずつ理解し始めます。
この作品は、映画以外にも地上波で放映された本編があり、それ以外にも映画とテレビスペシャルが1作ずつあります。それらは全てNetflixで観られるのでぜひご覧下さい。みなさんの感想もぜひ聞きたいです。
在り処とかたち
今回の劇場版に触れて、持っているありったけの綺麗な感情と記憶が涙とともに溢れました。
切なくて、温かくて、悲しくて、幸せで、心がつよく締め付けられました。心がどこにあって、どんなかたちをしているのか、その全てが分かるくらい締め付けられたんです。
正直、自分という人間を客観的に見たとき、お世辞にも澄んだ人間とはおもえません。これまでの人生の中でずいぶん汚れてしまったのです。生傷が絶えず、古傷だけが増えていく人生に、何度も絶望しました。
生きていると辛いことが本当にたくさんあります。
「あいたい」と素直に言えるようになったときには、もう二度と会えなくなってしまっていることもあります。
「あいしてる」を伝える覚悟を決めた矢先に、その愛する人がそよ風に散ってしまうことだってあります。
「ありがとう」を伝えた回数が少ないと気づいたときにはもう遅かったりもします。
大切な人に会えなくなった季節を嫌いになり、愛する人を散らせたそよ風を嫌いになり、素直じゃない自分を嫌いになります。
嫌いなものばかりが増えて、人生が惨めに思えて、絨毯にできる自分の涙の滲みですら、自分よりも価値のあるものに思えてしまいます。
「傷ついている」の一言には込めきれない、痛みに、涙が溢れ、胸が張り裂けそうになります。いっそのこと、張り裂けてしまえ、とまで思いました。
でもね、その苦しみは、とても、それはそれはとても綺麗なものなんですよ。
それだけ痛むものがある。
追憶がある。
「あいしてる」を知っている。
それだけで、人生には価値があるんです。俺の人生には価値があるんです。
泣きながら生まれ
泣きながら喜び
泣きながら怒り
泣きながら哀しみ
泣きながら楽しみ
泣きながら死んでいく
足掻いても足掻いても、何度も人生に打ちのめされ、絶望して、自分で死のうともしました。大切なものをいくつも失って、もうボロボロなんです。
でもね、ヴァイオレット・エヴァーガーデンを観てね、こころの底からおもったんです。
死ななくてよかった。
生きることを諦めなくてよかった。
生まれてきてよかった。
「あいしてる」を知っていてよかった。
誰かに言葉を伝える大切さに気づけてよかった。
こころの在り処と、そのかたちが、はっきりとわかったんです。ヴァイオレットが、教えてくれたんです。
頂いたお金は美味しいカクテルに使います。美味しいカクテルを飲んで、また言葉を書きます。