天才を目指す、という自意識

どうも、キシバですーーと、名乗りを変えてみようかなと思ったりした今日この頃。そろそろ具体的な何かを初めてみようかと思ったりもしています。

昔から頭の中で考えるのが得意なのが高じて小説なんて書き始めたというか、物心がついた頃から「しょうらいのゆめ」欄に小説家と書いていたから夢想がちな子供になったのかはわかりませんが、とにかくそういう考えることが好きな自分でした、今も昔も。

まぁ周りから見ると軽挙妄動に見られるきらいもあるというか、変わり種な個人のご多分に漏れず「何を考えてるかわからない」と周囲に(子供同士ながらに)評される子供ではあったものですが(大人から見れば子供なんて大概何考えてるかわかるようでわからないものかもしれません)、要するにそれは『考えること』の中身が独自路線過ぎたということなのだと思います。

結局今もそれは変わらないというか、そういうガラパゴスな思考を積み重ねてきた結果を大勢のいる場に晒してみたら思ったよりも歓心を持って頂けたというのがカライさん(https://togetter.com/id/karaisan123)-の真相であり、なのでだからこそ『どう見られるか』というのを事のほか気にしてしまう性分にあります。

大人になるに従って身に着けた処世術と申しますか、結局「何考えてるかわからない」と言われ続けるのは嬉しくはなかったので「こんなに何考えてるかわかりやすい奴もいない」みたいなキャラを演じがちな傾向は生まれましたーー自分にとっては自分が何考えてるかはわりと自明であり、自分が何考えてるかについて考えるのもわりと慣れていたので(ガラパゴスに)。

なので『わかりやすさは大事だ』という、それ以外の諸事にも共通して持っている視点で、時に素直に、時に大嘘を吐いて、自分というキャラクターをわかりやすく表現しようと、意識的無意識的を問わず試みてきたように思います。いわゆるペルソナ。大なり小なり、誰でもやってる事ではありますね。

そういうのの一端として生まれたのが、「自分は天才になるべきだ」という結論でした。

これは多分小学一年生ぐらいの頃、人生で一番厳しい、小学校の四年間担任だった先生の下で軍隊じみたと形容された教育をビシバシ受けている頃の事だったと思います。思えば小説家になろうと思い始めたのも小学一年生の頃からなので、ある程度同時期。

言ってみれば最初の自己評価みたいなものに直面して、崖にぶち当たって、「どうやら自分は『普通』じゃないらしい」と思うに至りました。自分の中で、自分の事を「『普通』だ」と思えた時期は、なので一度もありません。トップの天才か、底辺の鈍才のどちらかにしか成れないという自己認識でした。もっと言えばスタート地点は底の底で、何も足掻かなければそのまま人生ターンエンド、というような。「ごく普通の平凡な高校生」みたいなキャラクタースタイルは、なので個人的にはまったくもってファンタジーでした。謎めいていました、憧れるくらいに。

『普通』というのは私にとっては憧れるけれど届かない、生まれつきの超人みたいなもので、それだったらまだしも天才の方が近かろう、というのが当時の安直な理屈だったように思います。
『普通』というのはマイナスにもプラスにも偏っていないけれど、天才というのはマイナスにもプラスにも偏っている。だったら少なくとも条件にカスリもしていない『普通』に比べれば、自分は半分以上は天才の資質を満たしているじゃないかーーという、まぁ子供らしい暴論で。

実際のところ、客観的に見れば別に非凡でも鈍才でもなく、ちょっと鈍い程度の普通の子供だった可能性も低くはなく。生まれてこの方友達が一人もできた事がないとか、両親に虐待されたとか、そういう壮絶なエピソードが取り立ててあるわけでもありません。そういうわかりやすい差別化に悩んだ時期もありましたし、単にセンシティブな子供が自意識を拗らせて自分を特別視するという、極めて凡庸なパターンにも、勿論該当するのでしょう。「半端に不幸になるくらいなら世界一不幸になりたい、そうすれば主人公だ」なんて、いかにもありがち。

とはいえ実際、多いのだろうと思います。流石に小学一年生なので大した差ではないとはいえ、それなりに勉強はできる方でしたし、それこそ文章を書くのも好きでした。作文を褒められたからそうか自分は文章が得意なのかと知って、元から読書好きだったのもあって小説家になろうと思い立った、という経緯もうろ覚えていますーー。
ともあれ。得意不得意のバランスが偏っていて、スキルが片寄りになっている子供というのは、そういう人格形成をしやすいものなのではないでしょうか。

好き勝手なことを考えているせいか、ぼんやりした、というか「この花壇の砂を外に投げたらどうなるのだろう」と件の鬼担任の眼前で考えてつい実行してしまうようなタイプだっただけに怒られる機会も多く、それ故にどこかで聞きかじった「偉業を成し遂げる天才には変人が多い」という伝説を「偉業を成す天才になれば、自分は自分でいてもいい」と解釈したわけです。都合のいい、言わば免罪符ですね。

そしてそれから、私は天才になるべく、天才を目指して人生を生きてきました。具体的には大作家を目指して、偉業を志して。
当然ながら失敗の連続で、歩いた道が真っ黒に染まるほど黒歴史ばかりの半生ですーー土台、天才とは「成る」モノではなく「在る」モノというか。それは常々痛感させられました。かの羽生善治九段も、藤井聡太二冠も、名人は目指しても天才を目指した事は無かったでしょう。

とはいえそんな失敗だらけの血まみれの道中に得る物が何も無かったかと言えば、そうでもなく。少なくとも『考え続ける』事は出来ました。
そして『(天才を目指すことを)諦めなかった』という過程の長さ、悪足掻きは、結果として望んだ差別化には繋がったように思います。

例えば天才を目指し続けた結果として、「天才を構成する要素は何だろう?」と、壮大な概念に論理で挑む癖はつきました。宇宙だろうが何だろうが、狂人も天才もそれ自身は論理で成り立っていて、だから世の中の万象は必ず『限定的に合理的』なんだとかいう説もその一環です。限定合理性。神様だって天才だって論理で成り立っていて、ようはその論理を再現できる計算と材料と手法があるか否かであるーーと。まぁ再現できたわけじゃないですが。

それに例えば私は、この先何があろうと、生涯物語を書くことは辞めないと思います。
一時期は一日百回まさに死ぬほど自分の才能のなさに打ちのめされて苦しんだものですが、しかしその甲斐あって今では「いくら才能がなかろうが、甲斐がなかろうが、自分が苦しかろうが知ったことか」と思えるようになりました。「どうせ何を思ったところで、自分はまた小説を書くだろう」とも。苦しくならない訳ではないですが、苦痛を友として、共に生きる術は知りました。

そんな風に人生の最初期から高過ぎる目標を掲げて不可能な道を歩き続けた結果、『諦めの悪さ』と『高い目標について考える事』にだけは慣れました。何事も慣れですね。諦めの悪さはまぁ、『別にどうでもいい事は諦めてもいい』とワンセットですが。一番大事な事以外は、何回負けても負けを認めない往生際の悪さ。格好悪くて生き汚い、言い訳上等、無限コンティニュー上等な害虫並みのしぶとさが、百万回負けて身に着いたモノの一つです。

で、まぁ何だかんだと言って。
そこまで子供の頃から目指し続けた結果として、どうにか三次選考ぐらいまでは進むようになりましたーー結果的に、結果が伴い始めました。遅いのか早いのかはわかりませんが。本物の天才の速度でない事だけは確かですが(一度だけ本物の天才と直接話ができた事もありますが、その方は処女作でデビューできたタイプのわかりやすい天才でした)。

ともあれ少しずつ結果も伴い始めたので、いくつかの副次的な目標も同時並行で目指してみようかな、というのが最近の状況になります。

好き勝手に語った内容が想定外にTogetterでウケたのは本当に驚いたものですが、そこに対して真面目に『どう見られるか』を『考えてみる』ことをした結果、わりと自縄自縛に陥ってしばらく動けなくなったりもして、それがこの半年間でした。
正しい方向性を見つけたーーわけでもないですが、「考えてもしょうがない」というのが、考えた末の結論になりました。「好き勝手に書く」とか意識しただけで書けなくなるので。これはもう、何も考えずにいるしかない。少なくともずっとガラパゴスに考え続けてきた議題の山が大勢の人の目に触れて、読まれて、反応を貰えるのは嬉しいですし。
いやはや、俗人です。

そしてついでに、これは大学に入る少し前から大学時代にかけて考えた事ではありますが、「現実で物語を書く」というのも今やりたい事の一つです。

人生を賭して物語を書き続けて、「小説さえ書き続けられるのなら他の人生は何もかもどうでもいい」と考えた事も、今考える事もありますが、しかしだとするのならば折角産まれ落ちて物理的な身体を両親から頂戴したのに勿体ない。活字やプログラムとして生まれ落ちていればそれはそれで物事は、人生ならぬ情報生はシンプルでしたが、そうでないからには現実というフィールドでも何かはしたい所です。言わば、主人公のように。

天才の偉業ーーという発想に、憧れに未だに縛られているという見方もできますが。とはいえむしろ、どちらかといえば柔軟な思考として。どうやらこの『考えること』というガラパゴスな個性は現実という舞台にストーリーを構築するのにも使えるみたいだぞ、と推論したというのがあります。

大学時代に経営学を専攻してみて、やっぱり小説を書くのにどこか似た楽しさがあったんですね。『限定的に合理的』な世の中の課題を解決するのと、物語上に設定した様々な関係性を束ねて主人公が歩み出すのを見守るのは近いものだと感じます。

できるかもしれない、からにはーーやってみたい。
それは物語の中で主人公を描き続けた故に、彼らの気風が、『自ら話を動かす』性質が身に着いた、とは言わないまでもそちらにこそ憧れたというのがあるのでしょう。読む側としても、その辺りに魅力を感じて読書をするタイプでしたから。(1日外出録ハンチョウで「お前は『人間賛歌』に感動するんだ」という人物分析がありましたが。ああいう、誰かが何か凄いことを成し遂げる、というのに弱い性質はやはり天才の偉業を目指してきただけあって根っこの部分に刻まれています)

さしあたっては。今まで十分過ぎるほど考えてきた、むしろ行動力という才能のなさの証明と言っていいほどに『考え過ぎて』きたアイデアのうち一つの変化形。個人開発型のWebサービスにそろそろ挑戦できる準備が、言い換えると『限定的な合理性』の計算と材料と手法が整ってきたとも思えているので、その辺りに挑戦してみようかと。

まぁ長々と書いたわりに、ありがちなチャレンジではありますけれどね。Web開発。「何かしたい」思ったら手頃な案の一つではあります。逆に言えば大きく間違っている事も少ない、とポジティブにも捉えられるでしょうか。

昨今のコロナ関連に少しぐらいできる事もあるんじゃないかとか、そういう事を思わないわけでもないですーー。偉業が成せるような自分になりたいという憧れが出発点ではありましたけれど、成せるというのなら偉業で救えるものは救いたいし。苦しんだ経験から(主に物語が)救ってくれた事への恩返しならぬ、情けは人の為ならずという気持ちも小さくはないのですから。

というわけで。小説を書いて、好き勝手に語って、現実で物語を書いて(個人開発に取り組んで)みる。
その辺りの方針で、2020年の9月からは生きてみようかなと『考えて』います。

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