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今晩のミサに意義深くあずかるための準備

降誕祭ミサのための事前準備

(1) 私は、今年の降誕祭のミサ((深夜ミサ)では、司式するとしても、説教をしないつもりです。
だから、説教の配信はありません。福音書の朗読を際立たせるためです。

  降誕祭(深夜ミサ)のような キリスト教の根本的な神秘 (みことばは人となり、私たちのうちに住まわれた) を祝うミサでは、何をどう説教しても、汲み尽くせぬ神秘を限定するような結果になります。
例えば、「宿屋に泊まる場所がなかった」、つまり、貧しい環境でお生まれになったことに注目した説教は間違ってはいないでしょう。しかし、その点に注目することによって、「神が人となられた」 神秘を狭めてしまうような気がするのです。

(2) また、説教は福音朗読を理解する助けになりうると同時に、福音朗読を本当に聴く妨げになりえます。よく知っている箇所だけに、「知ってる、知ってる。それでどんな説教をしてくれるの?」と、聴くことがおろそかになりやすいと思います。

(3) 朗読そのものに注意深く耳を傾けるべきです。この日の福音朗読のレクチオ・ディヴィナ(lectio divina )を事前に十分にしてからミサにあずかることを勧めます。
 レクチオ・ディヴィナを一言で説明すると、聖書の本文を非常にゆっくりと読むことです。具体的には、全体をサッと読んで、意味をつかもうとするのではなく、一語一語を味わいながら、ゆっくりと読み進めます。
 私の書いた『聖書の読み方ーレクチオ・ディヴィナ入門』で詳しく説明しています。手元に持っている方は、1章2章を読んでください。

(4) 降誕祭のミサは三つあります。「深夜のミサ」、「早朝のミサ」、「日中のミサ」と呼ばれています。ミサが実際に行われる時刻は必ずしも呼び名通りではありません。
 福音書の朗読は三つを合わせて、降誕の出来事を理解するように仕組まれています。
「深夜ミサ」では、イエスの誕生の出来事が読まれます( ルカ2章1~14節)。
「早朝のミサ」では、羊飼いの応答が読まれます (ルカ2章15~20節)。
「日中のミサ」では、視野をグンと広げて、宇宙的な規模で、神が人となられたことが語られます( ヨハネ1章 1~18節)。
三つのミサに全部あずかる人はほとんどないでしょう。 そもそも、「日中のミサ」はミサそのものが行われることが少ないのです。「深夜ミサ」か「早朝のミサ」だけあずかる人も多いでしょう。しかし、福音書だけでも、三つを読むことを勧めます。