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復活節第2主日(A)年の説教 

第一朗読:使徒2章42~47節
第二朗読:Ⅰペトロ1章3~9節
福音朗読:ヨハネ20章19~31節(ABC年共通)

◆ 説教の本文

 私はこの頃、天気の良い日は庭に出て、三十分ほど太陽の光を浴びるようにしています。イングリシュ・ガーデン風のスペースには季節の花が咲いています。周りには緑豊かな樹木があります。
 しかし、花や樹木を見て、愛でるために庭に出ているのではありません。太陽の光を全身に浴びるために出ているのです。英語でbaskといいます。
 この病気になって、はじめて太陽の光にbaskできるようになりました。以前は時間があっても、できなかった。読みたい本、読むべき本がたくさんあるような気がして、魂が落ち着かなかったからです。

  「そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなた方に平和があるように』と言われた。」

 私たちは、復活節(特に前半)には、イエスの復活の光を浴びるように努めるといいと思います。家族や属している組織に責任のあることは別ですが、できる限り、「何かやらなきゃ」メンタリティから解放されて、イエスの復活の光にただ、baskする気持ちで日々を過ごすことを勧めます。
 「やらなきゃ」ならないことが、和解のようなキリスト教的なものであっても、復活節のこの時期にはしばらく棚上げにして、胸を広げて、キリストの復活の光が受けたらどうでしょう。

 具体的には、次のやり方を提案します。
・・今日の福音をゆっくり読んで(レクチオ・ディヴィナ)、それから「あなた方に平和があるように」と告げて下さるイエス・キリストを目の前に置きます。それは手に釘跡が残り、脇腹に槍の刺し傷が開くイエスです。
 そのイエスを見つめる。ただし、何かを得ようとする切迫した気持ちではなく、「イエスはすでに復活されているのだ」という安心した気持ちでゆったりと見つめます。目の前のイエスの姿がぼやけてきたら、福音書の言葉に戻ります。それをしばらくの間、繰り返します。一日の間、思い出したときに、短い時間でも試みてください。

 第二朗読のペトロ書簡に、「( あなた方は)しばらくの間 、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれません」とあります。 人生の出来事は典礼曆に従って起こるわけではないので、トラブルは復活節でも平気で襲ってきます。しかし、そんな時でも、復活のキリストの光を浴びましょう。キリストが与えてくださる、人の思いを越えた平和を受けてください。ミサではこう言われています。

「私は平和を残し、私の平和をあなた方に与える。」

東方教会では、復活祭には次のように挨拶し合うそうです。

「主キリストは復活された、アレルヤ!」

「然り、彼はまことに復活された、アレルヤ!」

☆ 説教の周辺

 この説教は「疑うトマス」をテーマにしませんでした。まだ復活祭の第二主日です。復活されたイエスの光をただ浴びることを勧めるべきだと思ったのです。
 「疑うトマス」については話したいこともありますが、かなり複雑なロジックになりそうです。第二主日は単純な説教にしたいと思いました。