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待降節第四主日(B)年の説教

ルカ1章 26~38節

◆説教の本文

☆ 今年は待降節第四主日と、ご降誕の深夜ミサが非常に近いため(同じ日)、 第四主日では、ご降誕の意義を語る説教をします。そして、深夜ミサでは、ご降誕の出来事を語る福音に耳を傾けることとします(説教なし)。

〇 キリスト教をあまり知らない人からに「クリスマスとはどういう日ですか」と聞かれれば、「イエス・キリストという方の誕生日です」と答えるでしょう。日本人の想像力の中では、クリスマスはサンタクロースやクリスマスツリー、贈り物と繋がっており、イエス・キリストという方が中心にあることは知らない人も多いのです。イエス・キリストという名前くらいは知っているだろうと、私たちキリスト者は思っていますが、この名前を知らない 日本人は多いのです。だから、「イエス・キリストという方の誕生日です」と答え方も必要です。

〇 誕生日があるということは人間として生まれ、人間として生きたということです。「なぜ誕生日が12月25日とわかるのですか」と聞かれることもあります(激しく反対する宗派もあります)。しかし、イエス・キリストという方に誕生日があるということ自体が大事なのです。日付は「この日にしておこう」とみんなで決めたということでもいいのです。
12月25日に決めた理由には、冬至、太陽の 出ている期間が最も短く、これから長くなるということもあります。

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の影の地に住む者の上に、光が輝いた。」 (イザヤの預言、ご降誕のミサの第一 朗読)

〇 しかし、キリスト者はクリスマスの意味をもう一歩、深く捉える必要があります。普通の人間の場合は、誕生日を祝うのは 生まれてきた過去の出来事を祝うのです。ただの習慣になっていることもあるでしょうが、その人が私たちとこうして一緒にいることは喜ばしいことだと祝うのです。その人が偉人であれば、その人が成し遂げた業績を素晴らしいことだと祝います。

しかし、イエス・キリストの場合は、それに加えて、私たちの中に、家族の中に、共同体の中に、「今年新たに」お生まれになることを祝うのです。むしろ、これこそがクリスマスの中心です。これは人間の誕生日ではないことです。〇〇さんが今年、新たに生まれるとは考えない。
アメリカやフランスは国の誇るべき歴史の祝日があります。アメリカは独立記念日、フランスは革命記念日です。イギリスからの独立、フランス革命を過去に起こった素晴らしい出来事として祝い、またその出来事の良い影響が今に及ぶことを祝います。独立や革命の初心に帰るという意味もあるでしょう。しかし、「今年新たに独立する」、「今年新たに革命を起こす」という風には考えないでしょう。クリスマスは「初心に帰る」以上の意味、「今年、新たに」があります。

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」(ご降誕のミサの福音朗読)

〇 ご降誕のミサの福音朗読が「今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった」と告げます。2000年前に天使がそのように告げたというだけではありません。今の時代の私たちのためにも、「今日、救い主がお生まれになったと告げているのです。」

典礼学にはアナムネーシスという言葉があります。記念とか想起とか訳されます。ミサの奉献文(第二)に次の文があります。

「聖なる父よ、私たちは今、主の死と復活の記念を行い・・」

ここでの「記念」がアナムネーシスです。アナムネーシスは、特にイエスの死と復活について用いられる言葉です。信ずる者が集まってミサを行って、イエスの死と復活の出来事を記念(想起)する時、出来事の力が今ここに現れるというのです。出来事そのものが、テレビの再現ドラマのように再現されるというのではありません。出来事の持つ「救いの力」が今ここに現れるというのです。

このアナムネーシス は「救いの出来事」全てについて言われてもよいことです。ご降誕について言われてもよいことです。
信ずる者が集まって、ミサを祝い、ご降誕の聖書朗読に耳を傾ける時、イエスは 一人一人の中に、共同体の中に新たにお生まれになると信じて良いのです。

「マリアは言った。『私は主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』(第四主日の福音朗読)

聖アウグスティヌスは「御子がマリアの胎内に宿ったのは、耳によって宿ったのだ」と言っています。また、「マリアの胎内に宿る前に、心に宿ったとも言っています」。受肉について、この待降節に学ぶことは学び終わりました。 学びのチャンスは また与えられるでしょう。ご降誕を目前に控えた今は、耳で聞いて、イエスが宿ってくださるように願いましょう。
                        「了」