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待降節第4主日(A)年 説教

マタイ1章18~24節

◆ 説教の本文

〇こんな映画を見た。
  若い男性と女性が出会って恋に落ちた。 すぐにでも一緒になりたかったが、戦争が起こって男性が戦地に行ったり、裕福だった女性の家族が経済的な困難に陥ったり、様々な障害が起こってなかなか結婚できない。

 いつしか二人は頭に白いものが混じる初老になっていた 。
しかし、困難は続き、二人はまだ一緒になれない。女性の実家はもはや裕福ではないが、両親が残してくれた大きな家に少数の召使いとともに住んでいた。

 ある日、遠く離れていた男性から便りが届いた。それにはこう書いてあった。「 問題は解決した。私はあなたのもとに帰る。私たちは一緒に住むことができる。」

 初冬のある一日、 日暮れどき女性は古い大きな屋敷の一室で編み物をしていた。大きな門が開けられる音がする。
ゴトン、ゴトン。女性は音に気がついたみたい( あの人が帰ってきた)。 だが、そのまま編み物を続ける。庭の落ち葉を踏んで近づいて来る足音が聞こえる。続いて、屋敷の正面の大きな扉が開いた。ギィー。

 そして、足音が階段を上り、二階の女性の部屋に近づいて来る。その間も、編み物の手を休めない。でも、足音に耳を澄ましているみたい。

 足音は二階に到達した。廊下を部屋に近づいて来る。コツン、コツン。ここで、女性は編み物の手を止めて、目を閉じる。待ち続けた年月を噛みしめるように。

 足音は部屋の前で止まる。しばらく間があって、そして、力強いノックがある。コン、コン、コン。

 女性は閉じていた目を静かに開ける。そして 年月の皺を刻んだ初老の、しかし若い時の美しさを留める顔を上げて、コントラルトの声でしっかりとこういう 。
Please come in. どうぞお入りください。

〇 こういう映画を見たような気がします。 しかし現物がどうしても見つからない。たぶん、私の脳が勝手に作り上げた映画でしょう。私の待降節のイメージは「 足音を聞く」、近づいて来られる方の足音に耳を澄ますということなのです。
 待降節には私たちは三つの到来を待ちます。初冬の引き締まった空間の中に、三つの足音を聞くのです。
遥か彼方から近づいてくる再臨のキリストの足音。
今年、新たに私たちの中にお生まれになるために近づいて来られるキリストの足音。
そして、過去の足音を聞きます。2000年前のベツレヘムを夜に向かって 近づいて来られる幼子イエスの小さな足音を。 

〇今日、待降節第4主日には、幼子イエスの 小さな足音に耳をすまします。
この方は小さな子どもですが、長い準備を経て姿を現した方です。マタイ福音書の冒頭 (今日の朗読箇所の前)にイエスの系図が置かれています。アブラハムから養父ヨセフまで42の名前が並んでいます。42の人生を重ねてイエスの降誕があるということです。
この系図には読み方があります。 一つ一つの 名前に重心をかけて、ゆっくりと朗読する。一つ一つの名前を足音のように聴くのです。
 イエスという名前は「 神は救う」という意味です。エンマヌエルは「神は人と共にともにある」という意味です。 この二つの名前が同じ幼子を指すのは、 神が人を救われるのは、人と共にあることによってであることを示しています。これはマタイ福音書の最後の「私は世の終わりまであなたがたと共にいる」 という約束と対応しています。

 このイエスが、今や幼い子どもの姿で戸口まで来ておられます。待降節の最後の一週間を静かに過ごして、お迎えしましょう。

☆ 説教者の舞台裏

(1) 待降節の説教には、「主は近づきつつある」という動きの感覚が大事です。 最初に映画の話をしたのはその目的です。
 フィリピ書簡には「 喜びなさい。重ねていう喜びなさい。あなた方の広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます」( 4章4~5節)という章句があります。
 「教会の祈り」の待降節の部では、最後の部分をわざわざ、「主は近づいておられる」と訳して、動きを強調しています。ギリシャ語には進行形がないらしいので、どちらの訳し方も可能なのだと思います。

(2) 谷川俊太郎に耳をすますという詩集があります。過去の足音に耳をすますことに興味を覚えた方にお勧めします。

(3) この映画を長い間、私は本当に見たと思っていました。『心の旅路』じゃないかと言った人がいますが、そうではありませんでした。 私の脳内では、 主演女優はローレン・バコールで決まりです。

(4) 「こんな映画を見たことがある」というのは、夏目漱石の 『夢十夜』( 第一夜 )のパロディです。
「 こんな夢を見た」で始まります。『 夢十夜』は第一夜に限らず、 待つという雰囲気を持っているので、 文学趣味のある方には 一読をお勧めします。青空文庫サイトで無料で読めます。紙の本なら、新潮文庫『 文鳥・ 夢十夜』に収録されています。岩波文庫なら、『夢十夜、 他二篇』です。

(5) 「共にあること」(presence)の 地味な、しかし素晴らしい 効果については、『イエス登場 気合いの入ったキリスト教入門 2』の第3講「神は人となった」を読んでください。