センキョナンデスを声を上げて絶賛しておかなければならなくなった件

『劇場版センキョナンデス』が公開されて2週間が経ちました。私は早速最初の週に見に行きましたが、素人が知ったようなことをネットで書き散らすのは野暮と思い、無駄な自己主張は控えておりましたが、ある批評を読んでそうもいかなくなってきたためひとnote執る次第です。

ある批評とは、こちらのとある映画・音楽ジャーナリストのもの。
http://www.kinenote.com/main/feature/review/vol184/
捨て置けなかったは、「建前としての中立性(劇中で特定の候補者に『応援してます』などと言っている)も投げ打っていて」の部分。
どういう理解力があったらそんな見立てができるのだろうか。感じ方は人それぞれであり自由ではあるが、いやしくもとある映画サイトの主筆がこれまた有名映画雑誌の記事にこんなことを書いたら、まだ見ぬ人がどう誤解すると思っているんだ、ということである。

「建前としての中立性」とは地上波テレビの選挙報道ならともかく、なぜこの映画にそれを四角四面に求めるのかがまずよく分からない。そしてその例が「応援してます」と候補者に声をかけるからだそうだが、この映画のコンセプト分かってますか?という話だ。

本作のパンフレット1ページ目にはジャーナリスト・畠山理仁氏が定めた「選挙漫遊十箇条」が載っている。まずこの映画の第一コンセプトはその「選挙漫遊」に他ならない。そしてその一条めが「一、すべての候補者を敬うべし」となっている。また、「一、政治家を崇め奉ってはいけない」ともある。「選挙漫遊」などという考えは思想的に認められないというのなら、一意見としては尊重するが、「応援してます」と声をかけたのが「崇め奉って」いるように見えてしまうのはどういうことなのだろうか。

選挙という公正なイベント(本作では選挙はフェスであるという)に参加する候補者に敬意を払うという意味での「応援してます」がお追従に見えるというのは本作のコンセプトを読み取る能力が皆無か生理的に受け付けられないかのどちらかだろう。著名な映画・音楽ジャーナリストであるそうなので後者であることを祈る。

「選挙漫遊十箇条」はこうも定めている。「一、応援している候補ほど厳しく見るべし」。プチ鹿島・ダースレイダー両氏はまさにこの意味で応援した結果、候補者や新聞社に土佐犬のように咬み付いて離れなかった様を映画・音楽ジャーナリストはトイレにでも行って見逃したのだろうか。

本作未見の方に改めてこの『劇場版センキョナンデス』について説明するなら、礼儀正しい電波少年(もしくはマイケル・ムーア)、と言えばイメージがつくだろうか。「選挙漫遊十箇条」はこうも定めている。「一、自分の目で見て、聞きたいことは聞くべし」「上品な野次馬であれ」と。このスピリッツでとにかく二人は候補者ににじり寄る。ときに冷たくあしらわれ、ときに熱心に語りかけられ、ときに怖いおじさんが出てくるなどの状況を映像で提示するのみで、そこから先どう解釈するかは観客に委ねられているのがこの映画の魅力と言える。これが楽しめない映画・音楽ジャーナリストは本当に気の毒だ。

などと熱く書き散らしてしまいかなり恥ずかしいのでありますが、こんなひどい批評を許す訳にはいかないため、ネット検索上の偏りを是正すべく声を上げた次第です。ぜひ劇場へ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?