見出し画像

親というもの

肺癌で余命宣告されていた父親が、退院出来る事になった。
入院したての時、何とか折りを見て娘と見舞いに行ったきり、母親に任せきりになっていた。

本当なら、こういう時一番あてになったはずの主人が、今一番手がかかるのだから仕方ない。

私は昔から父親に懐いた事がなくて、自分に子供が産まれるまで殆ど話もしてこなかった。
昭和一桁生まれの父親は、家の中では専制君主で、
何もしてないと「用事くらいしろ」と怒られ、何かしてると「邪魔や、やかましい」と怒られたので、そもそも近寄らなくなっていた。

孫ができて多少柔らかくはなったものの、考え方がアップデートされる事はなく、
「自分の子供に“ちゃん”なんかつけるな」と言い、
子供の行事で会社を休む人については「そんな奴はもともと仕事が出来ひんねやろ」と決めつける。
時代が変わっているんだと言ったところで、「だったら時代の方が間違うとる」らしい。

子供がまだ赤ちゃんの時、くわえ煙草のまま寝ている子供の顔を覗き込んでいて、流石に「万一灰が落ちたらえらい事になるから止めて」と言って止めてもらったが、近くで煙草を吸う事は最後まで止めなかった。

改めて文章にしてみると、時代錯誤も甚しい。

それでもうちの両親に子供は私ひとりだったので、私が動かないといけない事もある。

「一人っ子は可哀想」と言われる事がよくある。
私が子供だった頃は今より一人っ子自体が少なかったのでなおさらだった。

経験から言うと、
『一人っ子が一番可哀想なのは、何の関係もない人達に、自分に責任の無い事を勝手に可哀想がられる事』に尽きる。

そりゃあ姉妹で旅行に行ったり、親の事相談しあったりしている人を「いいな」と思う気持ちはあるけど、全ての兄弟がうまくいってるわけでもないだろうし、私はもともと一人なので、ある意味覚悟は出来ている。


主人は男二人兄弟の長男で、義母とはとにかく仲が良かった。
主人が私と結婚したあと家から出ても、義母は用事があると家に居る義弟ではなく主人を呼び出した。
義弟の事は「あの子は気もつかんし、頼んでも間に合えへん」とよく愚痴っていた。

ただ、耳を疑ったのは、主人の病気が分かって、病状が少し進みかけた頃、
「◯◯(義弟の名前)の方が病気になったら良かったのに」と言った事だった。

私にも子供が二人いるが、この言葉だけはどうしても理解する事が出来ないでいる。
と言うか、理解出来ない方が普通だと思う。
正直、「なんでうちなんやろう」とは思った。
「100万人にひとりが、何でうちの主人なのか」は何度も何度も思った。
でもそれとこれとは違う。

親より早く人生を終わらせるという事は、親の、見なくて良かった部分を見てしまう事でもある。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?