看取り
主人の病院から再度電話がかかって来たのは、前の電話から2週間後の、夜中、日付が変わったすぐの事だった。
前回の事があるので恐縮したようにまた「どうされますか?」と聞かれた。
迷いは無かった。「すぐに行きます」と言って電話を切った。
後で思ったのは、終末期の高齢者が殆どの病院では、連絡してもすぐに駆けつける家族ばかりではないんだろうな、という事だった。
それを責める事は、誰にも出来ない。
また息子の運転で娘と3人で病院へ向かった。
相変わらず3人部屋の真ん中のベッド。
夜中だというのに私達の為に部屋の電気は煌々と点いている。
両隣のベッドの住人が、あまり時間を気に出来る状態で無かったのが、救いだった。
看護師さんに、
「本当なら個室に移ってもらったら良いんやけど、今どこも空いてなくて、ごめんね」と言われた。
主人が息を引きとったのは、私達が着いてほんの10分・20分たった時だった。
待っていてくれたのか、長い時間狭いベッド脇にいるのはしんどいだろうと気をきかせてくれたのか。
一年前に亡くなった私の父親と、一日遅れの命日になった。
事前相談に行っていた葬儀社に連絡し、看護師さんが主人を綺麗にしてくれるのを、病院の踊り場みたいな所で椅子を借りて待った。
私も息子も娘も、嫌になるくらい落ち着いていた。
動揺したり泣いたりするのは、病気が分かった時や悪くなって行く過程で充分経験していた。
ヤコブ病について最初に調べた時、
「1年から2年で死亡する」となっていて目の前が真っ暗になった。
最初、受診する度に「進行は遅い」と言われていたけど、
「結局病気が分かってから、二年はたっていないんだなあ」
「二年前は、まだ仕事して、家族みんな好きなように生活してたのになあ」
そんな事をぼんやり考えていた。
葬儀社から迎えの車が来て、病院の人達に見送られながら主人は一年ぶりくらいに病院を出た。
葬儀社の人に、
「先にお連れしてますから、後からゆっくり、事故の無いようにいらして下さい」
と言われて、私達は家の車で向かった。
一年前に父親の葬儀を執り行ったばかりだったので、私も子供達も葬儀が終わるまでまだまだ長い事は分かっていたし、父親の時と違って他の親戚にも連絡しないといけないだろうしで、本当に家族だけで過ごせるのは、今晩だけだろうなとも思っていた。