転院先を模索する
せっかく個室に入院しても、主人は全然ベッドにじっと寝ていないのだろう、車椅子にベルトで固定されたままスタッフステーション預かりになっていた。
数日後、病院の事務局の方から転院先の候補が二箇所見つかったと連絡が来た。
やっぱり近隣の病院は無理だったけど、何とか隣接した市にある数十人規模の個人病院に近い所だった。
病院名と電話番号を聞いて、面談の日取りを決める事になった。
最初に連絡がついた方の病院に、翌日伺う事にして、もう一方の病院には数日後の週末に面談の予約を入れた。
この面談には息子が付き合ってくれた。
というのも、車を運転出来るのが息子しかおらず(娘は半分ペーパードライバー)、病院までの道のりを体感してもらわないといけなかった。
そういう意味では「ちょっと遠いな」という印象があった。隣接市といえども端から端への対角線みたいな感じだった。
いかにも古い終末期医療専門の個人病院で、対応は親切だったけど、電話で話した事務長さんがその日は不在で、面談してくれた看護師長さんも翌月には退職されるという。
その定年退職間近の看護師長さんでも、ヤコブ病の患者は見た事がないらしい。
転院先にわがままを言える立場でない事は分かっているけど、次に行く所が主人にとって終の住処になる可能性は高い。
やはりそうそう安易に決める気持ちにはならなかった。
「お返事は、別に急がなくて良いですよ」と言ってもらって、帰って来た。
翌日、仕事中に今主人が入院している病院の事務職らしい女性から電話があった。
もう一つの病院の面談に、今日・明日にでも行けないのかと、急かされたのだ。
言外に、「早く転院してもらわないと迷惑」な感じがあふれていた。
病院の事情は分かる。
けど、どうしようもなく、悲しくて、情け無かった。
「何でこんな言われ方せなあかんのん」という思いと、
「何でそんな言い方しか出来ひんのん」という思い。
同じようでも違う、二つの感情。
そうなると今度は、主人を早く転院させないと、という思いが余計に強くなる。
面談予定の病院に、日程の変更をお願いし、息子にも連絡して、次の日に約束を取り付けた。
道順を調べていた息子によると、次に面談する病院は、息子が以前自転車で片道30分かけて通っていた高校と同じ方向で、なんとなく土地勘が働くので、行きやすいかも、という事だった。
実際、車で出かけた所、前の病院に比べても道もややこしくないし、近いと思えた。
古くて、終末期医療の個人病院、という所は同じだった。
最初、事務局の女性が設備や費用についての話をしてくれて、次に看護師長さんの面談があった。
私より、少し若いかな、と思える看護師長は、
「若い頃、ヤコブ病の専門病院にいた事があるんです」と言った。
そして、
「うちはこの通り古い病院で、設備も古いですけど、看護師もヘルパーも、
本当に一生懸命やってます。
もしお父さんをお預かりする事になったら、出来る限りのお世話はします
から、御家族さんは、自分達の生活を元に戻す事だけを考えて下さい。」
そう言ってくれたのだった。
多分、この言葉に、私も息子も救われた。
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