のすたるじっく


梅雨おはよう!
妹が窓を開けてくれて
雨の音もその涼しさも気持ちいい

覚えておこう、梅雨の朝の過ごし方として
まずは窓を開ける!
(とはいえ午前は好きな漫画を読んでトイレで音楽を聴いていたら、おわっちゃった笑)

コーヒーがあればもっと良かったんだろうけど、待つことのがめんどうでやめちゃった
自分でやることなのに、待つのがめんどうってなんだか変だけれど

今のわたしには、連絡がしぬほど待ち遠しいような好きな人もいないし、週三の契約社員なので私にしかできないような仕事の連絡もあるわけないし、
写真のデータも届いたばかり
お手紙のお返事も送ったばかりなので
わたしが待っているものってほんとうに今なんにもないね

だけどあんまり寂しくない
寂しさや不安は子どもの頃から常にあったように思うけれど
それは性格というよりもただの人間らしさだということに気付いたのかも
夏を前にほんとうに良い洗濯をした気もする

自分のこと慰めるみたいに、最近は再会が増えた
ひさしぶりの長さはそれぞれなんだけれど、
やっぱり楽しくて、やっぱり大好きで、嬉しかった

わたしは高校生活はまるごと韓国で過ごして、韓国でできた友達からは日本とは違う意味を持つ“情”を、家族みたいに触れてくる彼らの深い優しさや、正直すぎるし素直のすぎる様々な愛の形からたっぷりと学んで
今思えば、重ためな兄弟愛をお土産に日本に帰ってきたのかな

その頃、唯一の同じ留学生として出会ったさんみとはすぐに気が合って、それからは毎日一緒だったのと、まだ韓国語がわからなかった頃なんて、同じ言葉で、しかも同じような気持ちで話せるさんみとは自然と家族みたいな距離感になって、言葉のない喧嘩もできるくらいの仲になったんだけれど、
一昨日は5年ぶりくらいに会って
やっぱりわたしたちが一緒に過ごしてきた韓国での日々はいつでもわたしたちの心を繋げてくれると思った

人に限らず、本とか音楽もそうだった
過去の自分が惹かれてきたもの、それらは静かにどこかで繋がりあっていて、覚いだせない名前のものも含めてぜんぶ大事だと思った

それなのにずっと寂しいから、やっぱりそれは生き物としてのわたしの一部だとわかった

これは最近鈴夏がくれた本で、
(わたしたちはお互いの好きなものと相手の好きそうなものを重ねて、様々な時代のガラクタのなかから宝物を探してくる、みたいな共通の趣味がある)

これは見たことのない本で、今の自分に必要なヒントを鈴夏がくれたみたいで嬉しかった!
arigatto ❤️ arigatto

大学時代は鈴夏や瀬里、にーな、はるかとよく遊んだ
同じ学科のみんなのことも好きだったし、
勉強は大変だったけれど先生も面白い人たちが多くて好きだった
特にあけお先生の言葉はいつでもわたしのお守りだった

フランス語はわたしにはとても酸っぱかった
それでも言語の持つ複雑さの奥のほうで、静かに踊っている叡智の存在感を想像したらウットリしたし、言語に限らずだけれどこの世に存在する大きなもの、はこれまでの人の歴史やその時代の人々の思考と深く繋がっているという事実がクッキリしてくればしてくるほど大興奮したりもした
わからないことが多すぎるということが、嬉しいと思い始めた頃、わたしはスケベになりはじめたのかも・・

ニーナが誘ってくれた映像の授業がきっかけで、1980,90年代の日本の広告に辿り着いて
今も続く大恋愛をしている

バンドの真ん中で人の前で歌った
みんなが先にフランスに出発して、寂しかった
そんな時に井の頭公園のバンドマンと恋をして、ほらねってくらい痛い目をみた笑

たまたま見たストーリーでkassyの絵に一目惚れして、初めて見に行かなきゃって思って気持ちと一緒にからだが走った
家族はいつでもそばにいて、姉と妹とは一緒に大きくなって、昔よりも友達みたいなのに、昔よりも家族みたいになった

お父さんはいつの間にか歳をとったけれど、それでもお父さんの素敵なところは、わたしたちが生まれる前の手紙に書いてある素敵なところから決して変わっていなかった

わたしはまだ26年しか生きてないと思うんだけれど、みんなはどう思うんだろう

とりあえず、今はこれが僕のすべてかも!

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