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ウッフフ

こんなに幸せでいいのかな!

バナナジュース、バナナも牛乳も贅沢に使ってしまえばおいしくできた!

木曜の朝に腰を痛めてから、二日も仕事を休んでる
がんばったら行けるけど、わたしが休んでも困らないなら、わたしは断然お休みしたい!
だから今日もお休みもらった

お大事にって言ってくれたし、
明後日からは最近やけに体力勝負(ひとが足りない喫茶店)の連勤が待っているし
仕事のための体力に対してわたしはとってもケチだから、綺麗なガラクタ集めるお金よりもそれは惜しくって・・
だからこうやっておやすみできる日は、いつも静かにサボタージュしてるんだ

しゃかいの多くのひとたちは無理してでも働きに出掛けるから、わたしはそのなかで、無理したら全然働けちゃう自分に対して罪悪感を抱かないよう必死になっていたら、昨日のお休みは心がすごく疲れてしまった
ぜんぶ腰のせいにしたいけど、残念ながら腰は順調に回復しているし
結局わたしは働くことに対して、無理することができないだけだった

みんなが無理して働くから、無理せず働いてる自分が恥ずかしくなるじゃないか
疲れた横顔を美しいとするから、できれば疲れたくないわたしの顔は醜く映るじゃないか
大人が数字ばかりにこだわってるから、お金が大事なのも分かったけれどそれよりも愛にこだわる自分が、いつまでも子どもっぽく感じて嫌になるじゃないか

それは本当に恥ずかしいことで、子どもっぽいことなのかもしれないけれど
こんなに幸せでいいのかしら

木曜の朝、腰をやって、すぐに探して電話した整骨院さんは、初めは夜ならと言われたが、いま先ほど初めてのぎっくり腰でどうすればいいかわからないことを話すと、いそがしい朝の隙間でわざわざ診てくれた
すごく優しい先生だった
具体的には、話し方や目元や触れ方までが優しかった

少し楽になった腰で帰り道に、時々寄る老舗のお団子屋さんに美味しそすぎるカツ丼が売っていたので、あたりまえに買った
ちょうど食べたかったから、良かった!

¥450

お家にいた妹にはあさりごはんのおむすびと、あんこのお団子を買って帰って
お昼になったら一緒に食べた!
わたしはそのあと久しぶりにたっぷりの昼寝をした

そういえば最近は仕事から帰ったら、あっという間に夜になって、夜こそ遊びたい気分なのに、ご飯を食べてお風呂に入っても、そんな体力が溢れてこなくて
明日の準備もできないまま、先に妹が眠ってるベッドにに静かに入って、妹の寝顔しばらく見るのが日課になっているのだけど

妹の寝顔が癒しすぎて、みているだけで全身の疲れがシュワシュワ抜けてく感覚が確かにあって
きっと疲れからきてる負の感情も、ぜんぶが溶けてく感覚あるの
それがしあわせで、穏やかに眠れている
朝もちゃんと起きる!
やっぱりからだは疲れてるんだけど、心は大丈夫になっている

いつまで一緒にいれるのかしら
腰のおかげでおとといも昨日も今日も、そういえば水曜日も!笑
妹と一緒に過ごせて、わたしは大変しあわせだけど!

昨日は帰る前に最高にステキな喫茶店でお茶してて、バニラのブランデーかかったプリンを一口たべて
こんなに幸せでいいのかな と思ったの
そのあと妹にそれを伝えたら、
さっきもおなじこと言ってたよ!って笑われた😂
本音が過ぎて、無意識のうちに声に出してたみたいだ!笑 

水曜の夜は、世界でいちばんお気に入りのネックレスを新宿で落としてしまった
よるごはんを食べる前に気がついて、はらぺこだったのに急にからだのなかが窮屈になった

一緒にいたボーイフレンドが、歩いてきた長い道を逆再生みたいに歩いて一緒に探してくれた

けど見つからなくて、寒くなって元気もなくなってきたので、食べてからまた探しにいこうってらーめん屋さんに入った
わたしは探すの手伝ってくれたからトッピングなんでもご馳走する気でいたら、きっとわたしのこと元気付けようとボーイフレンドがらーめんまるごと奢ってくれて、
とっても優しかった
二人とも疲れちゃってて無言で食べた、
美味しかった!

そのネックレスも、わたしがひとめぼれしたあとに彼がプレゼントしてくれた!だから余計しょっくだった
警察に忘れ物届を出しに行きたいけど、腰を理由にして行けてない
あんなに大事なものだったけど、あんなに広い新宿で落としてしまった
必ず探しだすって意思があるのに、気持ちは半分だけ諦めがついていて、そんな自分にも少ししょっきんぐだ
まだこの話は終わってないけど、やっぱり本当にしょっくだった

ずっと前に、彼とソファで手を繋ぎながら居眠りしてた日があって
その夜にもそれ思い出しながら
こんなに幸せでいいのかしら って感じてた

だけど、違う国ではその瞬間も、今も虐殺が起こっていて
おとながおとなげない計画を進めてて
歴史が意味を為さなくなってて、

地上では異常なお天気に人は喜ぶようになっていて
美しかった季節は情緒を失くしつつあって

幸せでいることの意味を考えなくちゃ
幸せはひとりひとりのもんだいなのか、
みんなと分かち合うもんだいなのか

わたしは後者だと思うんだけどな

世界はひとつで、今日の世界で起こっていることは同じ世界のこれまでの歴史と繋がっていて
都合悪さに消されてきた歴史でさえ、透明にされたまましっかりと結びついていて

それは全て同じ人間がやってきたことで
わたしたちには続いていく歴史の一部としての、もしかしたら使命があって、もしかしたらそれに伴う責任もあって
この時代にそんなの無理して背負うものではなさそうだけど
そんな風にわたしたちは自由すら選べてしまうけど、どんな自由を選ぶにしても
自分たちがその自由で手にしたもので、どうしても、たたかいあわなくちゃいけない時代ではあるのかも

たたかう相手は、昔みたいに誰から見ても悪党っていう悪党じゃないのが問題だけど
だから本当は尊重しあえたら良いのだけど、
人の命よりも大事な金も力もないとわたしは信じてやまないよ
そんなこともわからない大人が大勢いるのが悲しくて憎いくらい、
彼らも同じ人間であることが悲しくてこわい

このままだと力に任せて簡単に正しさがひっくりかえってしまう、
豊かさや幸せの意味をまるごと失ってしまうような時代の波がくるようで、いつも何かを構えてる

考えることやめたら、現実を見ないふりしてたら、何にも知らないうちに、現実を誤魔化しつづける波に飲まれちゃいそうで、気を張っている

そんなことばっかり気にしているから、この数年間体調万全だった日が滅多になかったのかもしれない







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