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omoide

スロベニアに住んでる友達に、もう内容は忘れちゃったけど、何かすごく大事なことを相談した時に、
Remember about what you are thankful forと言われた
その時はあんまりピンと来なかったんだけれど、
今はなんとなくわかる気がするので書いてみる

わたしねこの数年で、この国の世の中と自分の生き方がすごくすごく合わないこと 知ることができた
なのに、
何にも考えないだけで、だからわざとじゃないんだろうけど、とにかく自分のことばかりで他人を傷つけ彷徨ってる人が多いから
わたしも自分のこと守るために、いつでも攻撃できる姿勢で構えてしまって
そしたら季節と一緒に少しずつね、
人のこと傷つける生き方に変わっていってしまって
その生き方はわたしにとってすごく健康にわるくて
すごく不幸な気がしてる

たとえば台湾で半年くらい、のんびり暮らせるお金を貯めて、春にここを発って、秋になったらまたここで再会して、 
そしたらまたお金を貯める。
次に暮らす国を想像しながら・・
お仕事はね、安全に賢く稼げるなら、割となんでもいいのかも
言語使えたら嬉しいかも、
もっと外へ想像が膨らむから!
静かな喫茶店も好きだけど、町の映画館も良いですね

そんな働き方でも、わたしにとって動機は十分すぎるのに
色んな人からは心配されるのかしら
なんなら悲しむ人までいるのかもしれないね
わたし家族のなかで賢い方だったから、良い大学出たあとは良い会社に入って・・っていうをみんな信じてくれてたものね

だから今年のお正月は肩身がなんだか狭いけど、あんま気にしない笑
みんなからしたら、わたしはどんどん道を外れていってるけれど、
わたしからしたら自分らしい生き方の方へちゃんと進んでいるし
わたし前よりちゃんとしてると思う、自分の頭で考えて、信じたくなる人たちにだけ大事なこと話し合って、自分で選んでしてるから、前よりも大丈夫だと思う

ぜんぶをぜんぶ大事にできないこともわかったし、分かり合えない人とは無理して分かり合う必要なんてなかった、
自分にウソをつくだけだった
合わせることだって時には上品な振る舞いだけど
必要最低限で良さそうだ
大人になったら数字が関係なくなるのも歳を重ねていくにつれてホントのことだなあと実感できた
それなのに大変偉そうな人が多いのは、そのことを知らない人が多すぎるのだった

頑張れる時は頑張って、疲れた時には深く深呼吸できる場所や人がいることが幸せだった
わたしにとってのそれは井の頭公園だったり、お気に入りの喫茶、好きなお友達や、時々ボーイフレンド(実はあんまり頼りない)、あとは妹の寝顔とかだった
良い音楽に閉じ込められたようなお店も好きだった
実は歌うのも踊るのも好き
なのに人による騒音や、せまい場所に押し寄せてくる人の海のような恐ろしさは涙がでてくるほど苦手だった

久しぶりに書いているけど、日記を書くことも幸せだった
大きな木を書くというより、蕾みたいにひとつひとつを書いていた
もらった言葉とかしてもらった行動とか、
あっという間の感情とか長い間の違和感とか、
すごく細かい日記だった
枝がピンク色になってきたとか、落ちてた枝でヌードを描いたとか、枝は地球の血管みたいだとか、情緒のない季語で、その日その日の季節をしっかり感じていた
だけど今日の季節はごっちゃみたい
池は凍りそうだけど、陽の光は春みたい
木々は秋の暖色で、カラスのテンションは夏みたい

いま少し悪いことしてるんだけど
どうでもよくなってきた
今度たっちーに懺悔する

陽気なカラスにベンチごと囲まれた!
八羽近くもいた、なんで?

いちばん偉そうなのは自分かも
あたまでは幸せがわかってるのに、
ちっとも幸せに生きる気がない!
わたしホントはいつでも幸せになれちゃう術知ってるんだ、

とっとと腹くくって幸せに生きて、
さっさと満足してしんじまへ


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