見出し画像

住みやすさ≒人口密度?

今日はデータの話です。あまり面白く書けないかも?
リールの街が寒すぎて、南仏への移住を計画中。
結局、フランスに来てもフラフラしてんのね。転地療養のススメっていうくらいだから少しはそれにまつわる有益な情報もいりますね。

ところで住みやすさはどうやって決まるのだろうか?気候、風土、ひと、食べもの自然とひとが長年築き上げたところに街がある。そのため住みやすさの変数は多岐に渡り、またそこに自身の趣向、相性がある。

そんな住みやすさ変数の(私たちにとっての)参考になるのが人口密度だと気付いたのはつい最近、といってもここ数年である。
昨日も妻とその話で少し盛り上がった。
例えば自然がいくらあっても人が多ければ、もうそれは「居心地の良い自然」ではない。逆にあまりにも自然が強い場合も居心地の良い自然ではない。例えば岸壁の吹曝のような・・・
先ほども書いたように、定義にもよるが丸裸で「自然」などありもしないのだけれど。
あらゆる場所は、自然とひとの拮抗関係、弁証法の上に成り立っているように思われる。
だから一時代を築いた避暑地や廃墟となった手付かずのホテルなど「ひと」の力が弱まると、そのまま自然が飲み込もうとしたりする。また、たとえば山の中で修行僧のように暮らしたり自給自足して暮らしたりするのは、自然がだいぶ強めの関係で、自然に
「お邪魔させてもろてます」
みたいな具合だ。

逆に東京の中心地みたいに自然が全く消滅したかのように見える町もある。
ただ東京の場合、新宿御苑のように突然、巨大な(しかし非常に制御された)自然が出てくるあたりが非常に興味深い。
個人的には京都のように
人で埋め尽くされた大文字山、
子どもが奇声をあげ走り回る植物園
まぁなんだっていいが
そういったものは、とにかく気の休まるものではなかった。
(そこが誰かの憩いの場所であることを否定するつもりはない、私たちのそれではなかったというだけのことだ)

インターネットで検索すれば1キロ平方メートルあたりの人口がだいたいわかる。それが住みやすさの一つの参考になる。
少し調べてみた、正確な数字ではないので参照サイトなどは特にあげないが気になる方はご自身の実家と今住んでる街を比べてみるといいかもしれない。
例えば京都の中心地は中京、上京区あたりで12000人程度。(左京区は600人と少ないとみせかけて左京区は恐ろしく広いので、私たちの住んでいた左京区は上京区のそれと近いだろう)
東京は中心地であれば20000人程度。

赤穂はというと1000人程度。
ちょうどいい。なにが?
何がというか、ちょうどいい。

京都を10000人、赤穂が1000人と考えたら約分すると0が三つ消えて(あってますか?)
10と1。
例えばホールケーキを10人で食べるか1人で食べるか。
まぁホールケーキだったらたくさん作ればそれでいいし、一人で食べるよりは5人くらいがいい。
けど土地は増産できない。

さっきの弁証法でいうと、人口的なところは人がちょっと圧してるくらいがちょうどいい。
ライブハウス、キャパ100人のところに
ずっと100人、と10人、たまに1人。これは全然ちょうどよくない!これはちょっと寂しい。
けど50人くらいいないとなぁと思う。
逆に左京区民の憩いの場、宝ヶ池。
たとえば宝ヶ池の駐車場に、10台の駐車場があるとして。これは100人で取り合うか、10人でいつでも停められるか。
やっぱり自然が圧してるくらいがちょうどいい。

こんな風にツイッターでいうところの「シェア」が時に煩いように、富の分配が常に偏っているように、嬉しいこともしんどいことも自然もひとも、何らかのものをひとと「分け合う」ということは非常に難しいことなのだな、と改めて思うのです。この程度のことでデータとか調子にのってしまってごめんなさい。データを扱う風上にも置けないやつだという罵りをかわしつつ、さまざまなものを糧に今日も明日もなんとか生きております。

季節

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?