井の中の蛙になりたいって思ってる

本当は「自分はイキるために麻雀やってる」みたいなタイトルの記事を、魂天になったときに書けたらいいな、って思っていて。その記事の次に出したいって思っていたタイトルが「井の中の蛙になりたい」でした。マジで全く魂天になりそうもないので酔った勢いで書いてます。どっちも私の根本の価値観のような話です。



「井の中の蛙大海を知らず」 あまりポジティブなことわざではないですよね。
でも私は井の中の蛙になりたいんですよ。そういう生き方をしたい、という意味です。

数年前に大海のすべてを知った存在ってどうなるんだろうって考えたときがあるんです。
例えば足が人類で一番早いとしましょう。100m走でいいや。
ここまでに至る人って
①足が早くなること自体が面白くてひたすらに追い求めた
②他人と競い合うのが面白くて、自分の優位性があるのが足の早さだった。

のどっちかだろうな、と思っていて。
私は完全に②の人間なんです。おそらくなのですが、②の人間の多くが
足が早くなる過程(練習とか)は全然好きじゃなくて、苦痛に満ちていると思っています。少なくとも私はそう。


そして
②の型が人類で一番早く走れるようになった時、

ア.200m走のような別枠での勝負でも勝利を目指す
イ.別の動物と100m走をする
のように、ひらすらに蹴散らす相手を求めていくことになると思うのです。

これ、一体いつ満足するの? 無理だなぁって思ったときに
自分は井の中の蛙になりたいっておもったんですよ。

グループの中で一番、のような小さなコミュニティの中でイキって過ごしたいんです。そりゃ誰かの上に立つことが喜びならば、自分より上が全く見えないほうがいいに決まってますからね

自分が中学生くらいの時は、石油王のように金持ちになりたいと思ったし、教科書(歴史)に名前が残るくらいの偉業を残したいと思ったし、ヤッた女の誕生日で365日埋めたいと思ったときもありました。

やっぱ上には上がいるんですよね。
そういう人を見ちゃうと心がざわつくんですよ。要するに幸福度下がる。

宗教じゃないですが、自分の考え方の改善以外で解決しないのがわかりきってるかこそ、見たくないものには目をつぶって、井の中の蛙になりたいって思っています。

おしまい。


2024年の方向性として、noteを書きたいな~って思っていて。
①コーラでまんこを洗おうとした(未遂)ことから始まる性の話
②麻雀を初めて、やめたときの話
③こういう思想っぽい話

の3方向を迷っています

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