コスタリカと彼女と歯医者と窓の外と

歯医者にはよく行く。
行かざるをえない、というレベルまで結構歯が傷んでいる。
まず、妊娠、出産、授乳で体からカルシウムを徹底的に失ったせいだと勝手に思ってるが、ただ歯磨きをし忘れているせいかもしれない。フロスもしろと歯医者には言われるし、面倒で仕方がない。

今日はよく会うヒスパニックの女性歯科衛生士に対応してしてもらった。彼女は、前に連れて来て歯医者が大嫌いでギャン泣きした私の娘を覚えてるらしく、「私の娘に似ていて、母親に執着(attached)してるのね」と気持ちよさそうに言った。今日はそういう気分だったのか、よく話してくれた。娘さんが12歳で彼女といつも一緒にいること、コスタリカの実家に家族で年末帰ったこと、旦那さんとフロリダであって当初住んでたのに彼が出身地の寒いミシガンに帰りたがって、越してきたこと、新鮮な魚が恋しいこと、ミシガンは土地が平坦なので、山が無性に恋しいこと、海が恋しいこと、都会が恋しいこと。そしてそういう恋しさは私も同じだった。
彼女は日本に行きたいといった。旅行して山を見たい、食べ物を食べてみたい、娘も来たがるだろうと。

そしてよく窓の外を眺めてた。仕事を聞かれて、日系企業に勤めてることを言うと、色々職業や業種を変えれて良いわね、と言った。私なんて歯科業でしか出来ないわ、と。そして窓の外をまた眺めてた。
わたしの口の中で作業してる時にそれをやるのは、若干やめて欲しかったけど、なんか彼女の国が恋しいこと、暖かい土地が恋しいこと、アメリカには心の底からは馴染めてないこと、自分の仕事に実は飽きてること、そんな気持ちがよくわかる気がして、なんか心がふわっとした。
まぁ簡単に言うと人生に対する倦怠感みたいなものだ。そしてそれは、その時なぜかとても美しいもののような気がした。

彼女の横から、いつもの馴染みの女性歯科医師が出てきた。彼女は50過ぎだと思うが、背筋がピシッとしており見綺麗で、美人で、でも温かみがある魅力的な白人女性である。このオフィスの運営も上手くいっているようで、うまい経営者でもありつつ、何百人の患者を持つであろう彼女のスピード感は半端無い。テキパキテキパキとこなしていく。ちょっとラフに感じるくらい。
その日は歯にクラウンをつけにいったのだが、コスタリカの彼女の、これよくはまんないのよ、というのんびりした問いに、どれ貸してみな、とガシガシ私の歯に入れてくる感じだ。でも彼女の腕は確かなので、安心感を持って横になってる私である。

窓の外を眺めずにはいられないコスタリカの彼女の人生への気怠さは、blaseと呼ばれる大都会的な倦怠感を自然と身に付けてしまった東京で思春期を過ごした私にも当てはまるような感覚で、持ってると得なことはないと今なら認識している。
その彼女と隣で働く米人女性、高学歴・高取得の彼女のこれでもかというほどの労働への勤勉性と上昇志向。まさしく、アメリカ的というか、プロテスタント的な、(彼女がクリスチャンかは知らないが)生真面目さ、人生は頑張れば良くなるとか報われるという信念的なもの、この対照が痛ましいほどだった。
正直、私は後者のそのお金や物質的な成功、ステータス的な成功の信望者の多いアメリカで本気でクラクラする時がある。なんでそんなに現世で一生懸命になれるのかが、理解出来なくなる。「栄枯盛衰」とか鴨長明とか読んできた日本人の私には、この世は仮の住処でしかない。今持ってる豪奢な家も車も、みんなに認められてるという事実さえも、あの世には持ってけないんだよとと言いたくなる。

コスタリカの彼女の倦怠感を通して、私は私自身の生へのある諦め感を見、違う生のあり方を夢見るある種の美しさを見たのかと思う。前向きさが鬱陶しくなるほどそこら辺で生息するアメリカで、デイドリームしてしまうある魂は、私には美しく映る。

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