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私がアメリカよりインドが気に入ったわけ

┌ムンバイに来てたったの4日、もう私はこの街が結構気に入り始めている。」

衛生面の懸念とか、あからさまな貧困の見え方とか、独特な臭いとか、カオスな道路事情で毎日死ぬかと思ったりとか、裸足で痩せっぽそった子供たちとか歯がまっ黄色な物売りの方にお花のネックレスを買え、と強制的に娘につけてきたときの彼女が感じたであろう恐怖感とか、色々な気持ちが2月に旅行で下見にしたときは色々感じた。でも冒頭の気持ちは意外にも既に出てきていた。

6月に本格的に越してきてから、1ヶ月が経った今も自分がインドにいるという実感はやはりあまり無いんだけど、でもアメリカにいたときよりどこかホッとしている自分がいるのは確か。

それの一因としては、自分がアジア人であるから、っていうのがあると見ている。アメリカは多様だと言ってもイギリスの影響を受けた国であるのは間違いなく、主流は勿論西洋な文化。レディファーストだったり、ナイフがテーブルで手元に置いてあったり、ウィットの飛んでていて知己に満ちた賢いやり取りとジョークを言える人がディナーパーティーに欠かせなかったりする。で、7年住んでもうそういうことは大概わきまえてるし、それなりに職場でも交流の場でも上手く米人たちとやってけても、それでもやはりなんだかんだいって箸で食べたくて畳で布団で寝ると落ち着いて究極的にはパンよりご飯のが好きだと思う人間には馴染めないわけです。いくら慣れても。
勿論ここにいる多くの日本人の方はご飯が辛くて無理、って思う人もいると思うんですが、味付けの話ではなく、レストランでご飯が毎回3人前ぐらい出るかどうか、とか体が弱ってるときにアイスクリーム食べるより生姜入りのお茶を飲ませます、みたいな滋養のコンセプトとか、そういうところで結構グイグイきますね。あと、普通にベジタリアンなパンが日本の食パンぽくてアメリカのスーパーのパンより食べやすい、とか細かいところですね。

補足すると、アングロサクソンの文化は、弱肉強食感が強い。常に自分を良く見せたり、頭いい回答を繰り出すっていうのは結構疲れるんす。すみません、回転鈍いんす。もっとミーティングやディナーパーティーでリラックスしたいっす。

あと、これは特にアメリカに限ってですが、┌アメリカンドリーム」という言葉が象徴するとおり、無一文でやってきた移民が成功を目指して頑張ってるっていうのが原風景で、かつ今も名残がちゃんとあるので、それをまだ実現できる可能性がある国っていうのは素晴らしい反面、どれだけお金と資産持ってるかが、事実物言う国なんですよ。
みんな、お金ない奴に厳しい。お金ある人、成功した人を自動的に尊敬するという素地がある。

私達はアメリカにいたとき、20代で持ち家があったけど、子どもたちのために学区のいい地域に住んでた。つまり、金持ちの多いエリアで一番安くて狭い家に住んでいた。二人共若くて、学歴があっても、10歳以上年上のアイビーリーグ系のエリートたちの給料には全く及ばない。
まぁそこで私達は世間体とか気にしないから住み始めたわけだけど、でもお友達を呼んだりしたあととかは、なんかほんっとに肩身が狭かった。アメリカの上の方の中流階級には狭すぎっと思われてるのを感じてしまった。まぁ日本の東京だったらそこまで小さいほうじゃない。一応2LDKだった。周りが流石に大きくて綺麗な家過ぎて、可哀想扱いされるのが辛かった。

そこで、なんか物質的なものにこだわりすぎじゃないこの人たち、と私はくさくさしてしまったのである。

あとはね、やはりアジア人や外部者への冷たさもあげられると思う。白人同士のコミュニティが最終的には勝者で、それへの道は私達有色人種にはいくら英語が流ちょうであって、学歴があっても閉ざされてるなーというのが印象だ。夫はアメリカ生まれアメリカ育ちの日系ハーフだが、誰もアメリカ人、と見なしてる気があまりしなかった。。。娘の学校でもやはり白人同士の親は自然と仲が良いのだ。

脱線しました。

あと、教育熱心なとこも好き、インド。
その教育がただの詰め込みで路線的に間違ってる、っていう突っ込みもあるけど。

バラバラで取り留めが無いですが、また更新していきます。

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