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気づき

アメリカの年末年始の休みというのは、どっちかというとだいぶクリスマスに重きが置かれる。まぁキリスト色が強い国なので。イブの日から2週間たっぷりあった休み。有難い一方で、家族と過ごす時間が長すぎると困ることもある。

勝気な私の場合、夫との口喧嘩が勃発しまくりな件である。したくないのに、またやってしまうという繰り返し。
結婚してかれこれ7年。子供も二人。恋愛初期の何をやっても許せる・許されるときめきはお互い無し。ここだけの話、ずっとこの件に関しては、ヤツの言い方が良くないとかお互い子供なんだと思ってやり過ごしていた。なんでこんなやつと結婚してしまったんや、とまで思ったこともあった。

でもね、気づいてしまったのだよ。日本にいる実家の両親と年始の挨拶でスカイプした時に。

うちの父は、超絶家父長制一家で育ち、体罰・子供の長時間労働ありありの農家育ち。こんなとこでやってられるか、と一転上京し、親戚中唯一大学へ行かせてもらい、その勢いで超極貧苦学生生活を続けつつ司法試験にも受かってしまったというハングリースピリッツの固まりである超強者。努力家だけど、唯我独尊な父、そんな父を兄弟3人怖がりながら、育ったというのが正直なところ。(勿論体罰受けました。)母の優しい性格に救われた感じで、辛うじて家庭は保たれてた。

そんなお固く感情を見せない父も、ただ夫に黙ってついて行く母も、話をするだけで興奮する相手、というのがいる。それが何故か私の夫である。スカイプで私の話をふーんという程度に聞いてた相変わらず子供のやりたいことに全く無関心・無反応の父。その彼が、夫が登場すると目をキラキラさせて話し出す。

まぁ一定の要素としては、アメリカ育ち、日本の大学出身の彼は、どこをどう間違えても、宇宙人的な面白いネタが詰まってるに違いない、という期待。あとは英語マニアと化した父の英語練習台になっているということ。
彼もその期待を知ってか知らなくてか、多いにエンタメ性で盛り上げて話を進めていく。

前回スカイプした際は、新年の挨拶でもしておくか、という程度だったが、父親の人種差別的な発言を聞き、私ならイラッとしてくるところをさらっとその偏見が勝手に一方的な見方であることを説明しつつ、嫌味や上目線を排除した言い方で行うため、ますます彼らを熱狂的なファンにしてるから、お手上げである。

で、何に気づいたかというと、こんなに私のことを見てきた人たち、そして意見が全く違う2、3人の人間たち、私はまぁ基本的に一定の信頼感を持って彼(ら)の価値観もしくは人生経験を認識している、その人たちがどっちも私を「結構手こずらせる」人間と見てる。
その心とは、つまり、その通りだということです。
え?そうなの?マジで?私ってリアルにbratというかわががま娘キャラ?
と戸惑ったというよりも妙に納得、むしろ解放感さえ感じたその瞬間。
私はその見方を厳しい父の一方的な見方としてずっと年頃の時から反抗し続けてきた気がするんです。自分を自由にさせてくれない理解のない親、確かにそうであった側面もありますが、逆に私も世間一般の子供たちより、さんざん自由にやってきた、迷惑もいっぱいかけたことも一定の事実、と思い、逆にこれが私の普通なんだから、たまに制御するよう自制のスキルも身につけようと納得したのでした。

あ、勿論父のことは今でも大の苦手で、一緒にいると2分くらいでその場を去りたくなりますし、別に好きになったとか許したくなったとかではなく、ただ今後誰かと意見が違う時、喧嘩とかになりそうな時、その時に、私が認めたくなかったけどそこにある事実、私はナイスな良い子であるわけではなく、結構甘やかされたボンボンである、であるゆえに、他人に甘ったれたことを言って、傷つけたり、ワガママを言ってるかも、と客観的に立ち止まって再分析の趣旨で見れるのはむしろプラスのことだなーと思ったのでした。


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