自殺未遂をした日。

2022年5月。自殺未遂をしました。

理由は色々あったけど、最後の決め手になったのは不採用の電話。
就活するうえで通院の関係上、オープン(障害を公表して働く)で働こうと、面接したところ全部に自分の病状や通院頻度(当時は1回/2w)の説明をしてた。
就活は難航して、何ヶ所か面接まで行ったものの通院があるなら厳しいと不採用と言われ、ここで一旦終わりにしようと思った会社。
その会社が自殺未遂のトリガーになってしまった。

時を同じくして、家庭でも問題があった。激しい解離を起こして反対車線の縁石に突っ込む単独事故を起こしたうえ、私の自傷行為的な男癖の悪さ(この件については後日)も日の目を見ることとなり、家庭の空気は最悪だった。
そんなどん底の精神状態で受けに行った面接。我ながら、よく受けに行ったと思うが。
でも、行かなきゃよかったとも思う。学歴や職歴ではなく精神疾患について根掘り葉掘り聞かれたから。
いつから発症したのか?原因は何か?どんな薬を飲んでいるのか?
正直、答えたくなかったし、双極性障害のことだけしか話してなかったから解離のことは隠していた。隠すはずだった。
結論から言うと、その場で解離してしまった。
きっと不採用の理由はそこだと思う。
突然、目の前にいた人間が挙動不審になるんだもん。交代したから仕方ない。でも、そんなこと伝わりはしない。

そういう経緯もあり、先に述べたように不採用となった。
希死念慮がもともと強く、精神的に不安定だった私は不採用続きの状況に、自分だけ世界から取り残されている感覚がして、こんな世界なら死んでしまおうと溜め込んでいた処方薬と買いに行った市販薬、合わせて200t少々を飲んだ。
死のうと思った。
飲み続けるのは苦しかったけど、これで死ねるはずだと思った。
その後のことは、ほとんど記憶にない。
激しい頭痛と吐き気、目眩。多幸感。幻聴、幻覚。
地獄か天国か分からない状態で呂律は回らなくなり、仕事から帰った母がそんな状態の私を見つけ病院へ。
ただ、そのときには解離を起こしていて、紙飛行機が見えるとか言っていたらしい。

病院からは、かかりつけの精神科に相談してください。とのことだったので、精神科の先生に入院すると言って、少し離れた大学病院に入院した。
入院生活は、また別の機会にゆっくりと。
この自殺未遂から入院するまでの間に、懲りずにODを繰り返して階段から落ちたりして、周りには相当迷惑をかけた。
でも、どこまで行っても死に損ないは死に損ない。
死に損なった事実が、どこまでも重たくのしかかる。今も。

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