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父、上顎洞がんになる〜退院後

退院すればだいたいOK。

それまでの病気についての認識は、がんの前では違っていることを知りました。がんは再発の恐れがあるので、その後の定期検診がかかせません。何ヶ月に一回かの緊張を強いられることになります。

定期検診は父が1人で行っていました。大病をしたと言ってもまだ60代。がんになった場所は、すぐに命に関わるところではありませんでしたし。目が一つで顔がちょっと歪んだわりと元気なおじいさん、そんな感じになっていました。

そうは言っても、検診のたびに心配でした。今思うとくだらないのですが、父の検診の日の星占いで、乙女座(父の星座)が下の方だと気が重くなりました。そのうち、星占いを見なければそんな気持ちにもならないんだと気づき、星占いを見るのをやめたりしてました。

また、検診の日の夜に父から電話があると身が縮む思いでした。問題なかった、と言う報告を聞ければよいのですが、血液検査の数値が…なんて話を聞くとしばらくは胸がドキドキしてしまいました。

こう書くと父思いの娘、と思われるかもしれませんが、ちょっと違います。父のがんが再発したら、また自分にはあの苦痛の日々が待っている。ほぼ、自分の心配のためでした。

検診以外のことを書くと、病院から母が帰ってきて父との二人暮らしに戻りました。手術の後遺症としては、いくつかの音が少し不明瞭にしか発音できなくなった位でした。それでも会話は問題なく行うことができました。

また父の兄である伯父より「身体障害者の申請はできないのか?」と言われ、主治医に聞いてみました。回答は「できない」。目が1つになっても視力も視野も問題なし、ご飯も普通に食べられる、よく考えれば申請できないのもわかるのですが…うっかり聞いてしまうほどに、父の顔貌の変化に対するショックがあったのかもしれません。

そして、それ以上に驚いたことは
「片目でも運転免許証はOK」
視野などの問題がなければ運転は諦めなくても良いんです。退院時に主治医から教えてもらったのですが、入院時に教えてもらえれば、もっと良かったかなと思います。大変な手術の前の明るい材料になったのに。

ただ、車幅感覚がよくわからないと、父は車の運転はやめてもっぱらバイク(80cc)が日々の移動手段となりました。

下の子が幼稚園に入る頃には私もパソコンを使用した短時間のパートを始め、夏休みなどは時々ですが子どもたちを父に面倒を見てもらっていました。

父はバイクに乗って我が家までやってきて、草取りをしたり子どもとトランプや花札をしたり、今考えると有意義な時間を過ごせたのではと思います。

こんな風に、子どもたちの季節の行事や節目のお祝いも参加してくれました。こうして振り返ってみると、大変だったのは手術した年の1年と、検診の時の不安感だけ。ものすごく大変だった記憶しかないのですが、この辺りの認識は見直す必要があるかもしれません。

そして、手術から5年後には、執刀医より「5年経ちました。おめでとう!」、10年後には「10年経ちました。おめでとう!!」のようなA5大の賞状みたいな物をいただき、どちらも父の家の壁に貼ってありました。

10年経ったところで、手術をしたB病院の受診は必要なしとなりました。父が定期検診に行くたびに不安な気持ちなるのもこれでおしまい、そう思っていたのですがヘビースモーカーの老齢期はそう甘くなかったです。

河原で子どもたちと過ごす父。この画像をじっくり見ると…

その手に持っているのは?????

入院中は禁煙をしていた父ですが、いつの間にかまた喫煙を始めました。フィルター付けても喫煙は喫煙だからね。それを知った時には腹立ちの余りしばらく絶交してました。

でも、夫の「お父さんの人生なんだから好きにさせてあげたら。病気になったとしてもお父さんがなるんだからさ」と言うような主張でいつの間にか絶交はなし崩しになりました。

確かに、父の人生、病気になるのも父だ、痛い思いをするのも父だ、けれどそれを誰が面倒見るのか、夫の発言にはそこが抜けていたのです。

喫煙の再開がこの先の病気に関係したのかはわかりませんが、普通こんだけ大きな病気したんだから健康に気をつけるのが筋じゃないの?怒ってもよかったですよね?

*家族に嫌われないためにも、禁煙に励んだ方がいいですよ。

#上顎洞がん

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