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三十五年目のラブレター 第16話

 佐々木は内部告発する前に高校の恩師に相談していた。佐々木の卒業した高校は、千葉の船橋商業高校、そして担任は桐谷武彦。
 だが、佐々木が相談したとき、横領している彼の上司が阿久津であったことを桐谷は知らなかった。知らないまま「自分が正しいと思ったことをすればいい、生まれてくる子供に対して後ろめたいことだけはするな」と言ったらしい。そこに阿久津をめようとする動きは見られない。それなら単なる偶然なのか。
 登山サークルのメンバーでまだ話を聞いていないのは、あとは数年前に病死した木立さんと若くして事故死した宮脇さんだけだ。木立さんはご主人もご両親も亡くなっている、宮脇さんのご両親にアポが取れれば、その方が早いかもしれない。
 島崎が腕時計を確認すると、既に二十一時を回っていた。年寄りの夜は早い。そして朝も早い。今から押し掛けるのはいくらなんでも非常識か。今夜はとりあえず情報だけでも整理しておくべきだろう。
 署に戻る途中、吉井から連絡が入った。川畑の写真を送って来た犯人からのメールの発信地がわかったらしい。
 葛飾区柴又、帝釈天近くのネットカフェ。柴又と言えば京成線か。これまで全く掠りもしなかった場所がまた増えた。なかなか手掛かりになる情報が入ってこない。
 自分は何か重大な情報を見落としているのではないかという気になって来る。それは今回に始まったことではなく、どんな事件であっても毎回感じる事なのではあるが。
 それより川畑はどうしているだろうか。彼女の事だ、詩穂里さんと勘違いされていることにすぐに気づいて、上手く知らん顔しているだろうとは思うが、それにしてもあまり時間をかけすぎるとどこでバレるかわからない。こんなところで手をこまねいている暇はないのだ。
 署に戻った島崎が情報を整理していると、「おう、お疲れさん」と吉井が入って来た。
「どうですか、あれから犯人からの接触はありましたか?」
「残念ながら」
「くそっ」
 ついうっかり出てしまったのを、吉井は聞き逃さなかった。
「気持ちはわからんでもないが、今は川畑さんを信じるしかないな。彼女ならきっと機転を利かせて上手くやってるさ」
「まあ、吉井さんが仕込んだんですからね」
 ちょっと不貞腐れ気味に島崎が言うのを聞いて吉井は苦笑する。
「島崎は川畑さんと高校の同級生なんだってな」
「同級生も何も、三年間同じクラスですよ。ほとんど腐れ縁ですね」
「文化祭で刑事の役やったって聞いたぞ」
 吉井は紙コップにコーヒーを二つ入れて持って来ると、片方を島崎に手渡した。
「二年のときですね。それで警察の仕事に興味を持ったんですよ」
「川畑さんにもだな」
「ええ、川畑さんもです」
「にも、だろ?」
「え?」
「気にするな。まあ、イライラしていても始まらない。犯人がどこから接触して来ているかを繋いでみるか」
 吉井はコーヒーを置くと、地図と付箋を持って来た。作業机の上に地図を広げるのを見て、島崎も吉井と自分のコーヒーを持ってそちらに移動する。
 吉井は地図を広げると、柴又の辺りに『川畑メール』と書いたピンクの付箋を貼った。
「ピンクの付箋は犯人からのアクションだ」
 続いて彼は二枚の付箋にそれぞれ『中橋封書』と『西川封書』と書き、それを島崎が綱島郵便局と船橋郵便局の位置に貼る。
「あまりに離れてるな」
 次は自宅だ。ブルーの付箋を準備し、それぞれの自宅の位置に貼って行く。桐谷は江戸川区上篠崎、阿久津は東小金井市、西川は世田谷区奥沢、中橋は世田谷区深沢、内藤は江戸川区小岩、木立は千葉県市川市、宮脇は神奈川県横浜市綱島。
 ……綱島だと?
 島崎が勢いよく立ち上がる。
「吉井さん、桐谷の勤務していた学校の所在地わかりますか」
「えーと、京成船橋の近く……あ、船橋郵便局?」
「宮脇さん宅は綱島です。その宮脇さんは桐谷さんと付き合っていた。結婚まで考えていたのに、彼女が事故死したんです。それから桐谷さんは独身を通してここまで来ている。もしも宮脇さんの死が事故死でなかったとしたら?」
「いや、しかし――」
「中橋さんへ送った怪文書の消印は桐谷さんの婚約者宅近くの綱島郵便局、西川への封書の消印は桐谷さんの勤務先近くの船橋郵便局、今回のネットカフェも柴又帝釈天近くなら、桐谷さん宅から柴又街道で一本、車でわずか十五分の距離ですよ!」
「島崎、ちょっと落ち着け」
「これが落ち着いていられますか、偶然で片づけるにはあまりにも桐谷の周りで揃い過ぎてる!」
「島崎」
 吉井の口調がやや強くなったところで、島崎はハッと我に返った。
「すみません」
「いや、わからんでもない。まあ、座れ」
 島崎がやや乱暴にパイプ椅子に座るのを見てから、吉井もゆっくりと腰掛ける。島崎が苛立っているのは誰の目にも明らかだ。無理もない。課は違えど、島崎と川畑は昔からの戦友なのだ。島崎にとってはそれだけではないのだが。
「佐々木さんが桐谷さんに相談したときは、その告発の相手が阿久津だということを知らなかったんだろう?」
「はい」
「西川へ送った手紙の消印にあった船橋郵便局は、確かに桐谷さんの職場だった船橋商業高校の近くだ。だが、彼は春で定年退職してる、そうだな?」
「そうですね」
「中橋さんへの手紙の消印は確かに桐谷さんの婚約者の実家の近くだ。だが、その婚約者が亡くなったのは三十五年前だろう? もしもその復讐をするのだとしたら、何故今までそれをせずに今頃になって行動を起こすんだ?」
「……確かに」
 幾つかの接点があったからと言って、なんでもかんでも結びつけるのは時期尚早だ。がっくりとうなだれる島崎の肩に、吉井が手を置いた。
「だから裏を取るんだよ」
「は?」
「お前、刑事だろ? 佐々木さんが桐谷さんに相談したときにその告発の相手が阿久津だということを知らなかったのなら、その後で知ったのかもしれない。桐谷さんは春に退職した船橋商業高校に出向く用事があって、その時に封書を投函したのかもしれない。桐谷さんは最近になって宮脇さんのお墓参りをしているかもしれない。それを確認して来るのがお前の仕事なんじゃないのか?」
 そう言うと、吉井は島崎に向かってニヤリと笑いかけた。
「俺は何を手伝ったらいいかな、島崎刑事?」

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