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三十五年目のラブレター 第2話

「ったく、あとからあとからナンボでも出てくんじゃねえか、あの『ひとり猥褻わいせつ博覧会』が」
「まあ、そういじけるな。そのうちしまちゃんにもいい女が見つかるよ」
「ケッ……ほっとけ」
「その前にそのヨレヨレシャツ、いい加減アイロンかけろ」
「余計なお世話だ。お先!」
 こんな仕事をしていればカノジョもできない。仮にできたとしても、まるで予定が合わせられないうえにドタキャンなんか日常茶飯事だ、ソッコーで別れる運命なのが目に見えている。
 同じ業種の人が相手なら、お互いの都合が理解できるから譲歩もできるだろうが、仕事の都合上デートなんかほぼほぼ無理だ、『大ドタキャン大会』になるだろう。いい女が見つかるなんて夢のまた夢である。
 などと思いながら署を出ると、背後から『いい女』の声が追いかけて来た。
島崎しまざき君!」
 振り返らなくてもわかる。一課のホープ・川畑かわばた女史だ。なんたって高校の頃からの腐れ縁である。
「ねえ、今帰り?」
「ああ、そうだけど」
「ちょっと一杯やらない?」
 彼女がキュッとお猪口をあおる仕草をする。この人が酒に誘う時というのは、大抵めんどくさい案件を抱えている時だ。とは言え、島崎もいくらでも余罪が出てくるエロ議員の取り調べに、いい加減うんざりしていたところでもある。
 馴染みの居酒屋に入ると、大将がいつものように奥の席に案内してくれる。二人が守秘義務のある仕事に就いていることを知っているのだ。
 いつものようにビールと適当な肴を頼むと、島崎はネクタイを少し緩めた。元々きちんと締めているわけでもないので、傍目には大差ないのだが。
「そんな顔してどうしたの」
「どうもこうもねえよ。例の議員センセイ。叩いたら叩いただけいくらでもホコリが出てくる」
「ああ、秘書の女性に強制猥褻の。余罪あるでしょうね、ああいうのは罪の意識なんか無いでしょうからね」
 川畑が生ビールをグビグビとあおる。いい飲みっぷりだが、緊急出動がかかっても大丈夫なのだろうかと、島崎はたまに心配になる。
「秘書にアルバイトのウグイス嬢、五十代の事務の女性にまで手を出してたらしいぜ。下半身でモノ考えてんだよ」
「二課も大変ねぇ」
 同情の眼差しを送って来る優秀な同僚に、恐らく彼女の方が大変だろうと予想しつつ、島崎は軽い調子で話を振る。
「そっちはどうよ、どうせめんどくさい案件抱えてんだろ」
 少々その飲みっぷりを気に掛けながらもビールの瓶を向けてやると、彼女も空いたグラスを島崎の方へ素直に出してくる。
「犯行予告」
「はぁ? 誰に」
「美術商。近いうちにエコール・ド・パリやるらしいのよ。一枚当たり七桁八桁なんてのがザクザク」
「なんだその、エコールなんとかってのは」
 島崎は芸術関係にはとんと疎い。目の前にいるいい女になかなか手が届かない要因の一つに、その部分の要素を挙げてもいいだろう。
「シャガールとか、モディリアーニとか、ローランサンとかあの辺。ダリやマグリットも入るのかな」
 聞いてみたところで一つも耳にしたことが無いのだが、どうやら画家の名前らしいということは島崎にも理解できた。ローランサンは聞いたことがある。デザイナーか何かだったような気もするが……とそこまで来て、イヴ・サン=ローランとごちゃ混ぜに記憶していることに気付く。どうやら彼は外国人の名前を覚えるのが苦手なようだ。
「その調子じゃ、どれが一番価値があるかなんてわからなそうね」
 川畑は後ろで一つに束ねた髪を一度下ろしてまとめ直すと、眼鏡のフレームとお揃いの赤いバレッタで留め直した。
 島崎が「俺にわかるわけがねえだろ」と言おうとしたとき、川畑が先に「あ」と声を上げた。
「ん? どした?」
「あーん、もうバレッタ壊れちゃった。お気に入りだったのに」
 見ると留め具の根元が折れてしまっている。金属疲労が原因だろう。
「永遠の物なんてないさ。いつか壊れる」
「島崎君と私の友情もね」
「男と女の友情ってのは、恋愛に発展しなきゃ壊れねえもんだ」
「じゃ、心配なさそうね」
 フフッと笑って壊れたバレッタをポケットに仕舞う川畑を見ながら、軽く玉砕した島崎はやれやれと肩をすくめる。
 こうして髪を下ろしている時の彼女は、勤務中からは想像できないほど艶っぽく見える。
 高校時代から美人で成績も良く、ついでに言うと、大抵の男が振り返るような抜群のプロポーションをしている。
 ダントツの一番人気を誇ったにもかかわらず、彼氏いない歴イコール年齢をいまだに更新し続けているのは、その才色兼備ぶりが原因である。勉強もできて生真面目なところが男子諸君に敬遠されていたのだ。
 このことを知っているのが自分だけだということに、島崎は僅かな優越感を覚える。彼女にこんなに馴れ馴れしくできるのも、こうして酒に誘って貰えるのも、恐らく島崎だけであろう。
「ま、明日にでも展示作品の一覧を見せて貰いに行くけど、どれが一番価値があるかなんて買う人次第だからね。シュル・レアリズムが好きな人にはバロックなんてちっとも価値は無いし、写実主義の人がキュビズムに興味を持つとも思えないし。芸術なんて基本的に個人の価値観と自己満足の集大成みたいなものだしねぇ」
 川畑は相変わらず島崎にとって謎の呪文のような言葉を吐きながらグラスを空けたが、島崎は何かちょっと引っかかるものを感じていた。つい最近、価値について考えたことがあったのだ。
「一番高い美術品じゃなくて、一番価値のある美術品か?」
 手酌でビールを注いでいた川畑が顔を上げる。
「ん? うん、そう。一番高いのなら簡単なんだけどね。『一番価値のあるもの』なのよ。犯行予告をした犯人にとって、最も価値の高いもの。何かしらね」
「そりゃわかんねーわな」
「でしょ? どうせ予告するならちゃんとした予告にして欲しいわ」
 何か引っかかる。何が引っかかるのか島崎本人にもわからない。一体なんなのか。
「それより聞いた? 香菜かな市村いちむら君、結婚するんだって。招待状来たのよ、島崎君とこ来てない?」
 話題が高校時代の友人の結婚話に移り、たった今感じたばかりの違和感を忘れるのに、彼は僅かな時間さえ必要としなかった。

***

「ごめん、ちょっと散らかってるけど」と言いながら鍵を開ける川畑の後ろで、島崎はいつもと雰囲気の違う彼女に少々戸惑っていた。
 彼女の部屋に入るのは初めてではない。飲みに行ってもいつ緊急招集がかかるかわからないことから、結局大して酔いもしないまま店を出るのがいつものパターンだ。そして話し足りない時に喫茶店で極秘事項を話すわけにもいかず、こうして川畑の部屋にそのまま雪崩れ込むわけだ。
 もちろん島崎も、警察官という職業に就いているとは言え、それなりの年齢の男である。いろいろ期待することが無いとは言えないが、川畑の酒の強さは尋常ではない。島崎に押し倒されるのを良しとするほど飲まないし、飲んだところで島崎の方が先に潰れるのは目に見えている。
 それにしたって今日の川畑は反則だろう。見慣れた筈の彼女の後ろ姿が、島崎には妙に眩しく映る。髪を下ろしているせいだろうか、女性はヘアスタイル一つでまるで別人に見える。
「ごめん、やっぱ帰るわ」
「何よここまで来て。もうちょっと付き合いなさいよ」
「今日の俺、ちょっとヤバいよ?」
「島崎君、いつだってヤバいでしょ。今更何言ってんのよ」
 そういう意味じゃねえよと思いつつも、「知らねえぞ」とついて行く。
 部屋に入ると「適当に座って」と川畑が言い終わる前に島崎は彼女を壁に押し付けた。
「ちょっと島崎君どうしたの」
「言っただろ、ヤバいよって」
「待って」
「待てない」
 彼女の顔を両手で包んでその唇を塞ぐ。何か言いたそうに鼻から声が漏れるが、すぐに大人しくなる。抵抗を諦めたのか、そもそも期待していたのか、島崎にはわからない。が、彼女が受け入れてくれていることは感じられた。
 軽く、深く、何度も彼女の唇を味わいながら、手を顔から首筋へ、肩へ、くびれたウエストへと滑るように下ろしていくと、彼女の呼吸が心なしか荒くなる。
 静かな部屋に布のこすれる音と二人の息遣いだけが響き、雄の本能を刺激する。
 俺やっぱり今日はヤバい――心の中で苦笑いしながらタイトスカートの裾をたくし上げると、急に彼女の手に阻まれた。
「島崎君、ストップ」
「手遅れ。俺ヤバい人だから」
「ダメだってば」
 川畑の甘い声が上がると同時に、脳天気な『カルメン』の音がバイブレーションと共に鳴り響いた。
 なんだよ、もう、こんな時に――と思った瞬間、川畑が笑いだした。
「早く出てあげなさいよ」
 ――畜生、ついてねえ……。
 島崎は乱暴にスマートフォンを取り上げると、あからさまに不機嫌な声を出した。
「はい島崎。……え? ……あー、はい……了解、向かいます」
「招集?」
「ああ。続きはまた今度な」
「何言ってんだか」
 島崎は自分の間の悪さにあまり有り難くない一定のクオリティを感じつつ、川畑の部屋を後にした。
 そして現場に向かう途中、気付いたのだ。川畑との会話の中で感じた違和感の正体。
 自分が取り調べをした例の議員のところにもメッセージがあったのだ。
『一番価値があるものを奪ってやる』と。

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