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アデル 第三話 抗

 陸軍AI研究の拠点、日本陸軍研究本部は横浜にある。夕星はアデルを連れ、その本部正門を見上げていた。重々しく厳格な門に行き着くまでには見事な桜並木があり、ほころび始めた花が暖かな春風に煌めいていた。

 桜。この国に生まれて桜が嫌いな人物はそうそういないことだろう。しかし夕星は満開の桜の花を見るとザワリと気持ちが波立つ。彼にとっての桜は、もう取り戻せない命を象徴するものなのだ。来年の春にも花はまた咲くだろう。しかし次の花はもう今年の花とは違う。

 自宅には、以前弟が使っていた部屋があった。書斎にするのに都合のいい部屋だったのだが、窓から庭の桜が目に入る。一年のうちのたった一週間ほどである。しかし夕星はそれを嫌い、寝室横の狭い小上がりに端末を並べていた。

 もう三十年も昔の傷は、瘡蓋(かさぶた)の下で時おり疼(うず)く。悔恨。そして、自責。不可抗力だったことは彼にも分かる。しかし感情というものは厄介だった。データとは違う。綺麗サッパリと消去など出来ないのだ。

 正門横の歩哨舎(ほしょうしゃ)には屈強そうな兵士が詰めていた。もちろんアンドロイド兵である。ひとつふたつと散る花びらになど目もくれずに、門兵は直立不動の姿勢をとったままでいた。

「今どき、カメラじゃなく兵士を置いてるってところがなぁ」

 カメラよりも対応は迅速だろうが、全くもって気後れする。しばらく待っていると、ブルリと携帯端末が震えた。五味からの着信。出迎えに来てくれたのだ。

 実のところ夕星は今回の依頼を断りたかった。運用検証は始まったばかり。アデルには荷が重すぎると感じたのだ。しかし会社の上司に相談すると、既に根回し済み。
 『軍は我が社の最重要顧客だ。協力する以外にない』と、ごもっともなことを言われれば、さいですかと引き下がる他はない。

 夕星の会社にも、アデルが他のアンドロイドを相手にした場合のデータを取りたいという思惑がある。しかも、当のアンドロイド兵が美形のアンドロイドを要求しているらしい。美形の? 夕星は嫌な予感しかしない。

「久しぶり! 相変わらず人付き合いの悪いやっちゃなぁ」

 重々しく開いた柵の向こうから人懐こい五味の声がした。いつ洗ったか分からないような白衣を羽織り、ぼさぼさの髪に眼鏡。長身の夕星同様に彼も背が高い。

「ご無沙汰してます」 

 人付き合いが苦手だから研究者という仕事を選んだのだ。夕星にも言い分がある。
 鎌倉と横浜。たいして遠くもないというのに二人は滅多に会うことがない。概ね、夕星がインドア派であることに起因しているのだが。

「先輩。アデル、連れてきましたよ」

 敷地内の桜も満開を迎えている。仏頂面の夕星を目にすると、踵きびすを返しながら五味のからかいが始まった。

「へぇ。こりゃまた、とんでもない美少年だな」
「ヒーラータイプですからね」
「ふぅん。なんで美少女にしなかったんだ?」
「俺が美少女連れまわしてたら、職務質問されるでしょうがっ!」
「……たいして変わらんと思うがな」

 むっとして口を閉じる夕星。それを見て五味がくくっと笑いを漏らす。しかしすぐに、今回の依頼の内容を語りだした。
 問題のアンドロイド兵の名はジタン。彼は人間の命令を聴かなくなり、独房で拘束されているという。簡単な質問には答えるが、重要な質問には何も答えない。管理者である人間にアンドロイドが反抗するなど前代未聞の話だ。

 人に反抗するアンドロイド。ならばヒーラー型アンドロイドが必要となる。そう判断して、五味は会社よりも先に自分に連絡を入れたのだろう。大学での五味は有名人だった。秀才とは彼のような人物のことを言うのだと、夕星は思ったものである。

 ジタンの拘束されている独居房は本部敷地の外れにあった。金属質の他の建物とはうって代わり、前時代的なレンガ造りである。内部に踏み入ると綺麗に改装されてはいるが、やはり『独房』というイメージは拭えない。

「古い倉庫を改装したんだよ。今どき、独居房なんて必要ないからな」

 五味の言葉を裏付けるように、ここに収容されているのは当然ジタンのみである。

「ソルジャータイプだ。暴走すれば人間なんてあっという間に吹っ飛ばされる。身動き取れないようにしてるから、アデルと話をさせてくれ」
「大丈夫なんですか?」
「ジタン本人の要望だ。人間には話したくなくても、アンドロイドになら話せることがあるのかもしれん。お前も変なやつだな。アデルが心配なのか?」
「そりゃあ。手塩にかけた機体ですからね」
「ふーん。それだけか?」
「……だけですっ!」

 からからと笑っていた五味が足を止めた。彼の前には鈍色(にびいろ)に光る強固なドア。表情を引き締めた相手を目にとめ、ここがジタンの収容されている独房であることを夕星は知る。ドア横の大きな窓から赤いレーザーに拘束されたアンドロイド兵が座っているのが見えた。

「あのレーザーは触れると機体が破壊される。向こうは近寄れない。話を聴いてやってくれ」

 五味の言葉を聴き、確認するようにアクアマリンの瞳が夕星を見上げる。頷いた管理者(アドミニストレーター)の指示に従い、アデルは独房に歩を進めていった。