アデル 第十一話 魔
春の終わり、夕星の元に吉澤の訃報が届いた。葬儀からの帰り道、隣を歩く管理者にアデルが難しい問いを向ける。住宅街の道はとても静かで、その声はよく通った。
「ねぇ夕星。人は死んだらどうなるの?」
分からないというのが事実である。夕星は、アデルのデータ量で分からないことが自分に分かるわけがないと息をつく。当然、個人の考えで話すしかない。
「俺は無神論者だからね。死んだら、それで終わりだと思ってるよ」
「価値もなくなるの?」
「遺ることもあるだろうね。でもそれを確かめることが出来ない。だから、死ぬことが怖いんじゃないのかな」
死ぬことが怖い。アデルには分からないことである。それを知ってはいたが、夕星は他の言葉が見つからなかった。
自分のことを『他人じゃない』と無邪気に言うアデル。それは、その他大勢と管理者の違いというだけだ。自分が死んだとしてもアデルが悲しむことはない。事実としてデータに記録されるだけで、価値としては残らないだろう。無論、確認はとれない。
アデルの中に悪魔など入れるわけがない。そう夕星は思っていた。だが、同じアンドロイドであるジタンの中には、悪魔が入っているのかもしれない。ジタンとの面談のたびに覚える苛立ちは、この自分の中の悪魔を揺り起こしているのかもしれない。
──春浅い海辺(うみのべ) 潮風切る僕 俯(うつむ)いて
幾千の鍵 鍵穴 掠(かす)め 幾億の鍵 虚空(こくう)を泳ぎ
溜息映し手に取る鍵が ぎぎしりぎしりと音を立て
アカペラでアデルが歌っている。薄暗い夜道に落とされるのは、もうただの記録なのだろうか?
「アデル」
「なに? 夕星」
俺が死んだらアデルはどう感じる? 問いへの答えを夕星は知っていた。『何も感じない』というのが正解で、その上でアデルは夕星の求める答えを探し出すのだ。
「いや、なんでもない」
天使は悪魔に、悪魔は天使によって呼ばれるのかもしれない。アンドロイドの中に悪魔を入れてはいけないと吉澤は言い遺した。それは正しいことなのだろうと夕星は思う。ただ、天使であるアデルを前に、自分に起こる感情が不可解なのだ。
「なんでもないと言う時は、たいてい何かあるときだよね? 夕星」
学習速度が速いのは想定内である。そして最も身近にいる自分に興味を持つことも想定内。違ったのは、自分の心の変化の方である。ギクリとした夕星の顔を見上げるアクアマリンの瞳は、ひたすら邪気がない。
「なんでもないんだから、なんでもないよ」
夏の気配の漂いだした夜風。陽の落ちた空に光る金星。ルシフェル。堕天使。
天使は地に落ち、悪魔となる……か。
ざわざわと揺さぶられる感情。ギシリギシリと音をたてる心。自宅が近づくにつれ、細道を覆うように竹林の緑が増えていく。
「夕星、なんか戸惑ってる?」
図星ではあった。しかし夕星はそれを認めるわけにもいかない。感情がそのまま顔に出てしまうようだと、自分自身にうんざりした。アデルの学習が進むのは歓迎すべきことなのに、それを恐れる自分がいるとは。
「大丈夫。ちょっと疲れただけだよ」
無難な返答をすると、夕星は竹林越しに夜空を仰ぐ。その彼を見つめる水底の瞳は、どこまでも澄んで美しかった。
──第二章 god 了──