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ONE 第二十三話 死に問われる

 日暮れ前。カツミは琥珀に染まる敷石に影を落としながら墓地に踏み入った。行き過ぎる冷たい風が、足先をのばした冬の裾を捲り上げる。
 カツミの目にフィーアの墓前で屈みこんでいるユーリー・ファントの姿が映った。彼に気づいたユーリーが、おもむろに立ち上がると声をかけた。

「やあ。また会ったね」
「もしかして、毎日、来られてるんですか?」
 カツミの問いに首を振ったユーリーだったが、フィーアの墓に視線を落とすと、そうしたいところだがねと付け加えた。
「でも、いつも君の邪魔をしてしまうね」
「いえ……」

 戸惑った顔のカツミに、ユーリーが微笑を浮かべると提案をした。
「良かったら夕食でも一緒にどうかな。君の知らないフィーアのことも話してあげられると思う。まあ、私の自己満足ではあるけどね」

 突然の誘いだったが、カツミは素直に頷いた。
 誰かと話がしたい。どこかで気持ちを整理したい。
 崖っぷちに追い立てられ、自分の本心を見失っていることが耐え難かった。

 カツミが頷きを返した時、ザアアと大きな音をたて、乾いた風が通り抜けた。冬の気配を含んだ森の香が、彼の髪を撫で上げる。
 寒風の通り道を見るように振り返ったカツミが、視界に入った幻想的な光景に息を飲んだ。

 見渡す限り整然と並んだ墓石のただ中で、過去と今が触れ合っていた。溶け落ちそうな最後の夕陽に照らされ、過去に蓋をした石の群れが一斉に輝きだす。
 その光輝と戯れるように、風に飛ばされた枯葉がカラカラと敷石の上を転がっていった。

 時の止まった場所。過去を封じた場所。記憶を閉じ込めた石の箱。その冷たい石の群れが今、燃えるような陽の中で立ち尽くすカツミに問いかけていた。

 ──生と死の意味を。過去と今の意味を。今までと、これからの意味を。

 この時、カツミは死に問われていた。
 死の宣告をされている者と、まだされていない者。そこに違いなどあるのかと。
 ジェイの診断書はまさに死刑宣告文だった。しかし、それと自分に課せられている任務との間に、どれだけの違いがあるのかと。

 死は厳然として揺るがない。
 けれど生きてる者だって、いつ死ぬなんて分からないんだ。ほんの紙一重の差のなかで、分からない余命のなかで、どんな人でも生きている。
 視界いっぱいに並んだ石の群れが、神々しく飴色に輝いていた。モアナの光は、分け隔てなく冷たい石を照らしている。
 死は平等だ。そして死刑宣告文を持つ全ての生者も、死から逃れられないという点では平等なんだ。
 なのになぜ俺は、必然の死ばかりに囚われているんだろう。今に生きられないんだろう。

 ジェイは自分の余命を知ってたんだ。ずっと死の足音を聞いていた。それなのに、俺に生きてほしいと言い続けていた。騙してたんじゃない。言えるわけがない。死にたがりの俺に自分の余命なんか。
 いのちを削ってでも俺を生かそうとしたのはなぜだろう。砂漠に水を注ぐような虚しい時間だったろうに。
 ジェイはなにを求めている?

 どんな愛情も受け取ることが出来ずに、俺は満たされなかった。ずっと足りないと求め続けた。この手から、なにひとつ手渡すことなく。
 ほんのさっきだ。俺が自分にとどめを刺そうとしていたのは。いのちなんて、俺にはその程度のものだった。自分に価値なんてないと思っていた。
 それなのに、死期を察しながらもジェイは俺を生かそうとしている。最後の時間を注いでくれる。

 このまま逃げ出していいのか? ジェイに返すものがあるんじゃないのか? 時間は待ってはくれないのに。明日なんて誰にも分からないのに。

 カツミは驚いていた。自分にもまだ、こんな気持ちが残っていた事実に。そして恥じていた。ジェイの死を目前にするまで、ずっとただ甘えていた自分を。

 ──束ねるものと出会いなさい。これから連綿と続く、この国を束ねてゆくものと。そのものの指し示す事々に従いなさい。この混沌を救う神に出会いなさい。

 カツミに求められているものを示す声。能力を封印した彼に、その声はまだ……届いていない。

 ◇

 夕食をご馳走するよ。そう言ってユーリーが案内したのは、特区内にあるリストランテだった。
 どっしりとした木のドアを開けると、柔らかな照明の向こうに大きな暖炉が見えた。客は家族連れやカップル。まだそれほど混んでいない。

「ひさしぶり」
 そう言ってカウンターに座ったユーリーに、店のマスターらしき人物が静かに微笑む。白髪で実直な印象を与える老人だった。
「なにが食べたい?」
 問われたカツミは朝からなにも食べていなかったことに気づく。昨日は、ジェイに無理やりシチューを食べさせられたな。思い出して胸がちくりと疼いた。

「シチューかな」
「ははっ。フィーアと同じだね。ここのシチューは一番のお勧めだよ」
 笑ったユーリーがマスターとやりとりを始めた。最後の紅茶までオーダーしてメニューを返すと、カツミを見てまた目を細める。
「茄子とキノコのラザーニャだってさ。旨そうだなぁ。あっ、ワインは?」
「……赤で」

 まるでセアラといる時のペースだとカツミは思った。どう見ても相手が主導権を握っているのだが、なぜかそれが心地いいのだ。
 セアラの顔を思い浮かべたカツミは、ざわついていた心が落ち着き、そのままゆっくり店内を見回した。
 洒落た田舎風の造りで、煉瓦でできた壁には古い大きな絵が掛けられている。
 昔、この星を治めていた王族。中央に描かれている美しい王女が、長い戦争のきっかけとなったことをカツミは知っていた。彼の視線の先に気付いたのか、ユーリーもその絵に目を向けた。

「アーリッカ王女か。あのラヴィ・シルバーも接触してるって噂があるな」
「昔の撃墜王ですよね」
「君も狙えるんじゃないのか? まあ。アレが前線に出されるのは、あまり見たくはないけどね。能力者部隊に組み込むらしいけど」
「アレって。例の計画のことですか?」
「そう。同じ顔が、ああまで揃うと寒気がするよ。オリジナルは向こうからの輸入品だ。こっちじゃ、そんなものに志願する人間なんていないからな」
「あの名はオリジナルの名前だと聞きました」
 ──リーン。部隊では、千二百人のクローンのことを共通してそう呼んでいた。

 ちょうど話が途切れたところに、タイミングよくワインがサーヴされる。
「じゃ。とにかく乾杯といこうか」
 何に向けてとは言わずに、ユーリーが杯を上げる。
 薄いワイングラスの触れ合う音。血を思わせる赤い果実酒が、穏やかな灯りの下で揺らいだ。

 ◇

「少佐に薬の件を依頼されたときには、これは脅しだなと思ったんだ」
 ラザーニャを嬉しそうに頬張る顔とは裏腹に、ユーリーの説明は毒だらけだった。カツミは複雑な思いで頷くと、話が外に漏れないよう周囲にシールドを張った。

「うちは貿易商をしててね。あの手の物も扱ってるわけだ。向こうはこっちの上行く情報通だから、バレてたんだな。まあ、仕事だと思って割り切ったわけさ」
「その結果が墓地通いですか?」
 皮肉というにはあまりにとげとげしいカツミの呟きを聞いて、ユーリーが困ったように頭をかく。
「まったくね。とんだ失敗だった」
 自嘲の笑みを浮かべ、ユーリーが素直に非を認めた。

「彼とは色々話したよ。それがいけなかったんだろうね。ただの運び屋に徹すれば、こうはならなかったさ」
「ここにも?」
「さっき言った通り。ほらシチューがきたぞ」
 魚介類と野菜のたっぷり入った煮込み料理が置かれた。となりには焼きたてのフォカッチャが並ぶ。
「これも手づくり。君みたいに痩せてるのには、無理にでも食べさせたくなるな」

 余計なお世話だ。むっとしながらカツミがスプーンを繰った。相手の評価を素直に認めたくはなかったが、確かにお勧めに相応しい味である。

「どう言えばいいのかな。白状してしまえば、必要以上に肩入れしてしまったんだ」
 視線を漂わせたままユーリーがぽつりと呟くと、カツミが容赦なく切り込む。
「好きだったとか?」
「さあね。あの子が好きな相手は分かってたし」
「まさか」
「いや、君だったよ。今になってみればよく分かる」
「殺されかけたんですよ」
 カツミの言葉で、頬を叩かれたようにユーリーが顔を強張らせた。だがわずかに首を振ると切っ先を返す。
「でも、寝たんだろう?」
 返答に窮したカツミに、情報通だと言ったろ? と、ユーリーが口の端を上げた。
「ああいう自然死じゃない遺体は、それこそ根こそぎ調べるもんだよ。警察が表沙汰にしなかったのは、中将が釘を刺したからだ。公には一時的な精神錯乱としかでなかったし、薬のことも伏せられたろ?」
「そうでしたね」

「私はね。少佐に従ってフィーアを特区から追い出すことは嫌だった。縛っていたかった。あの子が君のことをほのめかすたびに居心地が悪かったよ」
「俺のこと? フィーアは、初めは恨んでたんですよ」
「恨んでた? だから殺そうとした? 違うよ」
 ワインを注ぎながら、ユーリーがあっさり否定する。

「フィーアも気付いてなかっただけさ。あの子は自分のことを捨ててた。あれだけ優秀だったのに生きてる実感すらなかったかもしれない。人を好きになるとか、恨むとか、反対に誰かに愛されるとか。そういう場面に出くわすような人間じゃないと思ってたんだ。周りがいくら褒めても、彼自身が自分のことを無価値だと思っていたから、耳には入ってなかったろうね」

 ──コインの裏側。
 フィーアに対するユーリーの評価を聞いたカツミは、まるで自分に向けられた言葉のようだと感じていた。

 グラスを傾けながら、ユーリーが自責の言葉を繋ぐ。
「フィーアのしてしまったことは、もちろん頂けない。かといって、今さらそれを責めても意味がない。原因をつくったのは私だしね」
「いえ。俺が悪いんです。俺のせいです」
 カツミの罪悪感を消そうとでもするように、ユーリーが軽口を叩く。
「まったく。どいつもこいつも一方通行。どこかで正面衝突でもしたいもんだな」

 ──フィーア。纏う呪いを清めし者。
 カツミは知らなかった。なにをどうあがいたとしても、フィーアが短命で終わると決まっていたことを。
 双子の魂。コインの裏側。フィーアの死はカツミのために必要なものだった。
 それを知るのは、今はまだ一人しかいない。