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ONE 第三十八話 武器と呪い

 青い常夜灯に照らされる雪道。針葉樹の森に近い側を歩いているカツミの影とルシファーの影が、横に長く伸ばされている。
 凍った窪みに足を取られないようにルシファーは慎重に歩いていたが、そのとき隣にいるカツミの影がすっと今までと違う動きをするのを目にした。
 不思議に思い隣を見るが、カツミは変わりなく横を歩いている。影だけが勝手に動いては、自分の影に触れて離れるのだ。規則的に並ぶ街灯。同じ歩調。なのに、影だけが違う動きをしている。どういうわけか影だけが。

「強いんですね。ミューグレー少佐のことを聞いたとき、今なら隙を突けると思ったんですけど」
 不思議な思いの中でルシファーが口を開いた。その時にはもう、影は大人しく元通りの動きをしている。
「甘かったな」
 ルシファーの向けた言葉をカツミがさらっと笑い捨てた。横を向くとカツミがルシファーを見上げている。
 今まで顔を逸らしていたカツミからいきなり強い視線を飛ばされ、ルシファーは息を飲んだ。

「俺ね。フィーアの弟だよ」
 ルシファーがカツミを凝視した。その目はいっぱいに開いている。なにも見えてはいなかったが。
「異母兄弟だけどね」
「……すみません。なにかわけがあったんですね」
「もういいよ。自分が知ったのも最近だし。なにも気づいてやれなかったし」

 フィーアはルシファーの初恋の相手だった。だが彼はフィーアを信奉していただけで何の行動もしていない。したのだとすれば、フィーアの敵になりそうな相手を片端から攻撃したくらいである。
 告白出来ない鬱屈した気持ちを、他人への攻撃でなだめる。それは自己保身。その浅はかさを嘲笑うように、フィーアはみずから命を絶った。再会することもなく、想いを告げる機会を失くしてしまったのだ。
 取り残されてしまった想いはフィーアの死に関わったカツミへの怒りとなった。行動出来なかった自分にではなく、他者への怒りに転嫁してしまったのだ。

 他罰的なルシファーと自虐的なカツミ。二人の違いは、特殊能力を家族に認められたか否かで決まっていた。
 ルシファーは家族全てが能力者である。能力を否定されたことがない上に、幼い頃から適切に制御を覚えた。
 彼は自分の特殊能力を武器と捉えている。強力な武器を持つ自分に自信がある。だから自尊心も高い。
 しかし、カツミは自分の能力を恐れて育った。彼にとっての能力は呪いである。限界が分からず制御も出来ない恐ろしい呪いなのだ。ルシファーとは違い、自尊心など育ちようもなかった。

「そういえば、どこか面影が似てますね」
「そうかな」
「でもまさか、兄弟だなんて」

 ルシファーのなかに、ちくりと罪悪感が芽生えていた。この一年、カツミがどれだけ辛い思いをしてきたかを彼は知らない。ルシファーにとっての一年前の出来事は、やって当然のことだったからだ。
 カツミからはいまだに悪意の一片も感じられず、その表情は凪いだ海のよう。ルシファーにはそれが不思議でならなかったが、心の底でほっとしていたのも確かだった。

 『良かった。自分が負けていて』
 ルシファーは言葉に出来ない気持ちを『声』にのせた。
 想い(テレパシー)を聞き取ったのか、カツミが不思議そうに視線を投げてくる。その神秘的な瞳に見通され、ルシファーは複雑な思いにとらわれていた。

 ◇

 エレベーターが二人の部屋のあるフロアに着くと、ホールの椅子からユーリーがさっと立ち上がった。

「あれ。待っててくれたんですか?」
 もう夜中近い。意外そうな顔をしたカツミに、ユーリーが笑みを見せた。
「そこまで薄情じゃないからね。話はついたのか?」
「ついたっていうのかな」
 カツミが首を傾げて、ルシファーを見上げた。まるで仲のいい同僚に向けるような態度である。すかさず、ユーリーから容赦ないツッコミが入った。

「心配したんだぞ。ずいぶんとのんきだな」
「そんなぁ。怒らないで下さいよ」
 弛緩しきったカツミの態度を見て、ユーリーは二人の軋轢が解消したことを知った。だが、ほっとしたものの、カツミを待っていた間のじりじりした焦燥感は残ったままである。

「怒っちゃいないけど、この和んだ空気が気に入らないんだよ!」
「そんなこと、言われてもー」
 カツミとユーリーのやりとりを横で見ていたルシファーは、笑いを堪えるのに必死だった。
 この二人、全く噛み合ってない。原因はカツミの方だ。なんでこんなに飄々としてるんだ。ドライすぎるし、感覚がズレてる。天然か?

「あははっ!」
 しばらく事態を見守っていたルシファーだったが、思わず声に出して笑ってしまう。それを生意気に感じたユーリーがぶち切れた。
「なに、笑ってんだよ! てめえのせいだろうが!」
「噛みつかないでよ。もお!」
 怒り出したユーリーをカツミがなだめにかかると、自分の滑稽さを渋々自覚したユーリーが不満を始末するように確認した。

「じゃあ、もう心配いらないな」
「うん。ありがと」
 縦社会の組織のなかで、二人のやり取りは既に友人同士のものだった。

 静けさの戻った廊下で、ルシファーがカツミに見たままの感想を告げた。
「いい人ですね」
 ルシファーはユーリーの心を『聞かなかった』。あまりに分かりやすいので、その必要を感じなかったのだ。
 それに対し、カツミがさらっと答えた。
「そうかな」
「あれ、違うんですか?」
「いい人だよ。面倒見がいいし。良すぎるくらい」
 カツミが含み笑いを浮かべている。ルシファーは、なんだろうと訝りながら歩を進めた。やがてルシファーの部屋に着くと、立ち止まったカツミがドアを指さす。

「ここ、前にフィーアが使ってたって知ってたか?」
「えっ。そうなんですか?」
「嬉しい? それとも怖い?」
 意地の悪い二択。カツミがにやりと笑った。
「もちろん前者です」
 ルシファーは断言したが、同時に疑問が湧いた。フィーアの部屋だったと教えてくれたカツミの意図はなんだ? まさか優しさ? あんなことをした自分に。

「じゃあな」
 今度は手際よく鍵を開けたルシファーに、カツミが背を向けた。だが、ずっと見送っていたルシファーを振り返ると、挑発の続きにとれそうなことを言った。
「さっきお前、俺のこと強いって言ったけど、違うから。完全な不眠症。いつでも不意を突けるよ」
「もうしません。睡眠はちゃんと取って下さい」

 ルシファーはむっとした。実力の差は歴然としてるのに今さら何をと思う。もちろん不満は残っている。でもそんなのは、ただの八つ当たりじゃないか。
 不満を無理やり抑え込んだルシファーだったが、そこに、とんでもない爆弾が投げ込まれた。
「そんなこと言うと、添い寝しろって押しかけるよ」
 カツミの発言に絶句したルシファーは、遠ざかっていく背中を見送るしかなかった。

 カツミとの出会いで残されたものは不可解さ。そして興味。チクリと残る罪悪感。ルシファーは知らずカツミをフィーアと比べていた。
 フィーアの弟だって?
 俺は、フィーアからこんな印象を受けたことはなかったのに。彼はいつも思考の範囲内にいた。分からないなんて思ったことはなかった。
 優秀で謙虚で、他人にとても優しかった。フィーアにまた会うために、俺は特区を目指したんだ。彼がみずから命を絶つなんて夢にも思わずに。

 カツミが自室に消えたのを確かめたルシファーは、首を傾げつつ自分の部屋に入った。とても不思議な人物に出会ってしまったと思いながら。
 浮世離れした感じ。ころころと変わる印象。その一方で、悟ったような、自分を捨てたような態度も見せる。『聞けない』相手は、見える部分も想像を超えていく。

「添い寝しろって……なんだよ、それ」
 自分を貶めた相手に向ける言葉じゃないだろ。ルシファーは呆れていた。しかし──。それは軽口などではない。唯一無二のよすがを失くしかけているカツミの、必死の叫びだった。