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ONE 第三十六話 未知数

 午後の任務時間が始まって間もなく、ユーリーに付き添われたカツミが医務室を訪れた。何ごとかと椅子から立ち上がったシドに、カツミが舌を出して見せる。

「油断したよ。注意しとけって言われてたのに」
 診察台に座るカツミの頬には浅く小さな切創があった。上着とシャツを脱ぐと肩と腕にも傷を負っている。顔をかばったことで切れたらしい。
「私もすぐ近くにいたんですけどね」
 申し訳なさそうなユーリーに頷いて見せながら、シドは処置用のワゴンを寄せて続きを促す。

「クローンはシスの使用で不安定な段階ですが、あれはとてもクローンの力とは思えませんでした。磁場のようなものが働いて全く手出し出来なかった。しかもシーバル少尉の周囲だけが」
「セルディス少尉は?」
 話を遮ってシドの向けた問いに、ユーリーが訝しげな顔をする。
「彼はいたのか?」
「いたよ。一瞬だけ俺のほうを見て笑いやがった」
 カツミが横から口を出すと、ユーリーが目を見開いて信じられないといった顔をする。

「まさか」
「ほんとだよ」
 消毒薬の刺激に顔をしかめながらも、カツミは肩を竦めるだけ。その態度には余裕すら感じられた。
「A級の全能力者だね。ドクター、あいつのこと調べた?」
「ああ」
 カツミに質問を向けられたシドが言い淀み、その場に沈黙が落ちた。
「席を外したほうがいいですか?」
 ユーリーはそう訊いたものの、実のところ察しはついていた。

「良かったらいて下さい。迷惑でなければ」
 拒絶しなかったカツミを見て、珍しいこともあるものだとシドは思った。シドが説明を始める前に、ユーリーがさらりと話す。
「セルディス家の次男ですね。特例入隊するほどですからA級能力者でしょう。士官学校をトップで出たばかりですよ」
「私の言うことがなくなるな」
 昨日入隊したばかりのやつを、もうここまで調べ上げているのか。シドが思わず苦笑いすると、ユーリーは、これ以上は知りませんよとばかりに、片目をつぶってみせた。

 幸いカツミのケガは軽かった。能力者は治癒能力も高いので、傷は数日で消えるとシドが診断した。
「お前もやり返せばいいのに」
 呆れ顔で小言をぶつけたシドに、本当にやっていいの? とカツミが切り返す。不敵な笑顔にたじろいだシドだったが、いつものように釘を刺した。
「昨日も寝てないんだろ? 不意を突かれるなんて」
「説教はいいから早く聞かせてよ」
 小姑の嫌味なんかいらないとばかりに、カツミが続きをせかす。

 シドの得ていた情報は微妙なものだった。
 ルシファー・セルディス。カツミのひとつ年下の十八歳。名家セルディス家の次男で、ジェイの元婚約者の弟。兄と姉がいて、彼は末っ子である。
 士官学校を首席で卒業し、特例でひと月早く特区に入隊。本来の入隊式は来月だが、今回の作戦に参加する予定なのだろう。A級特殊能力者。『聞く者』。予測通り、フィーアの穴埋めらしい。

 この基地は、存在の重要性から士官学校を卒業してもトップクラスの成績でなければ入隊を許される事がない。大抵の場合、最初の配属は五大陸どこかの基地に決まるのだ。いきなり星の裏側の基地に配属ということもある。
 シャルー星は移民の星。その全土が一つの国である。特区が置かれた大陸は国の要であり、中心にある特区は最も重要な基地なのだ。
 この大陸は、シャルー星を治める王家の住まう場所。すでに形骸化し、実質的な権限が政府にあるとはいえ、政治経済の中枢であることに変わりはない。

「彼の姉は、ジェイとの婚約解消の後に別の貴族と結婚してる。でもすぐに身体を壊して離婚してるよ。あの家の者はすべて能力者だ。父親は企業家だな」
 牽制される要因は色々とありそうだった。数少ないA級能力者ということは、彼にとってのカツミはトップ争いのライバル。まさにフィーアと同じ位置にいるのだ。特例で入隊ならば、間違いなく優秀なパイロットだ。
 また、ジェイの婚約破棄の件に絡んでいるとも考えられた。カツミとジェイとの関係を知っていれば、だが。

「ふぅん。俺とは別の士官学校だね」
 何気ないカツミの一言にはっとして、シドが顔を上げた。
「フィーアの後輩だ」
「えっ?」
「間違いない。その線もありうるな」
「つまり、フィーアの事での逆恨みと?」
 それまで黙って聞いていたユーリーが、沈鬱な表情で話に口を挟んだ。
「もしそうなら厄介ですね」
 とてもまだ過去にできない記憶が、その場にいる者たちの脳裏によぎる。鮮紅色に塗られた生々しく刺すような記憶が。

「聞く者か。この会話、聞かれてないだろうな?」
「それは大丈夫。シールドしてるから」
 不安げなシドにカツミが片方の瞼を閉じてみせると、びっくりしたようにユーリーがのけぞった。
 診察台の上で足を揺すり、カツミがくすりと笑う。子供っぽいしぐさをしながらも、その言葉は冷静だった。
「外の気配が分かるんだ。ルシファーはシールドの外にいるから読むことは出来ないよ」
「会議室でやった時より、ずいぶん範囲が広いけど?」
「カツミは未知数な部分が多くてね。限界は分からないし、そのために制御も出来ないんだ」

 ユーリーの疑問符に、カツミではなくシドが説明を返した。制御出来ないから封印する。しかし感情の揺らぎが激しいと、制御が解かれることがある。カツミにとっての能力は実に厄介な代物だった。

「まったく、台風(テュポン)の目だな」
 ユーリーは呆れ顔で、診察台から降りたカツミに上着を差し出す。
「褒め言葉と受けとっとくよ」
 ユーリーの揶揄をカツミがさっとかわす。以前ならこんな受け答えは出来なかったと思いながら、シドが再度忠告した。
「ちゃんと寝ろよ。それと手加減はしないこと」
「いいわけ? そういうこと言って。添い寝してって押し掛けるよ」

 ユーリーが目を丸くし、シドの顔が引きつる。くすくす笑いながら、カツミはもうドアに向かっていた。
 テュポンの目の称号に十分値する台詞を吐いたカツミ。人を食ったような表情は、まるで過去のジェイを映しとったかのよう。

 ドアを出ていくカツミを追いながら、ユーリーがちらりとシドを振り返る。その顔には、心からの同情を示す表情が浮かんでいた。

 ◇

 なにかと騒がしかった一日の終わり。部隊の空気もぴりぴりしていた。気分を変えようと、ユーリーがカツミを夕食に誘った。だが地下駐車場から出てすぐ、カツミは奇妙な頼みごとを切り出した。

「少佐。車を墓地の方にまわしてくれませんか?」
「フィーアのか?」
「入り口までで構わないですから」
 真意をはかりかねたユーリーが黙ると、カツミが慎重に理由を明かした。
「気配があるんです。彼がいるかもしれない」
「ルシファー・セルディス?」
「ええ」

 車中でカツミは瞼を閉ざしていた。その静かな表情を見ていたユーリーは、内心の不安を膨らませていた。
 カツミは既にA級の能力者なのだ。そのうえ『聞く者』の能力まで覚醒したら、とんでもない存在になる。
 それとも以前からあった能力なのだろうか。最近の事件が覚醒を促したのか。聞く者の能力覚醒は、必ずしも好ましいことではない。能力者の心を蝕んでしまいかねないからだ。他人の心の裏側が見えてしまえば、傷つくことの方が多くなるだろう。

 自分だったらそんな能力は欲しくない。感受性の高そうなカツミがそんな能力を得て、本当に大丈夫なのだろうか。ジェイのいない今、なにがカツミを支えているのだろう。眠れない夜はまだ続いているのだろうか。仕事はいつも完璧にこなしているが。

 ユーリーの思考が不安の間をうろうろしているうちに、車が墓地の入り口で止まった。
 じっと瞼を閉じていたカツミが顔をあげると、黙って待っていたユーリーが小声で尋ねた。

「あいつがいるのか?」
 カツミがこくりと頷く。
「フィーアの墓前にいます。雪の上に靴跡が。確かめましょうか?」
「いや。その必要はないよ」
 やはりフィーアの線だったかと思いながら、ユーリーはすぐに車を出した。疑うどころか、カツミのことが心配になっていたのだ。

「ミューグレー少佐の所には行ってるのか?」
 急に違うことを訊かれたカツミは、きょとんとしたものの、すぐに意味を察して苦笑いをこぼした。
「週末に行ってます。ドクターが、ちゃんと寝ろなんて言ったからでしょう? ご心配なく」
「ほんとに心配無用か?」
「今日は油断しただけですよ」
「君達がまともにやりあったら、どうなるんだろうな」
「さあ。できれば遠慮したいですけど」
「けど?」
「今度来られたら仕方ないですね。ドクターの許しも貰ったから」
「ということは、君はセルディス少尉の能力を見極めているのか?」
 ユーリーの問いに、カツミは窓外を見つめたまま断言した。

「全能力者ですが人は殺せません。『聞く者』には特化していますが」
「どうして分かるんだ?」
「実は今日、彼が挑発してきたのでレベルを計ったんです。防御しなかったので、かなり煽った形になったんですけど」
「なのに、かすり傷程度だったと君は言いたいわけだな。でもあの磁場は?」
「俺がやったんです」
「えっ?」
 ユーリーが驚いているあいだに、車は曲がるはずだった脇道を通り過ぎてしまった。

「シールドの強いやつと思ってくれていいです。まわりに迷惑なので境界を張ったんですよ。あの中だったら、彼の攻撃が周りに影響しませんし」
 カツミの説明はユーリーに困惑ばかりもたらす。自分もA級だがレベルが違いすぎる。未知数というのは、どこまで空恐ろしいのだろう、と。
 A級レベルの能力者はとても少ないのだ。その更に上を行く者など、かつてこの基地の双璧だった二人しかいない。

「ドクターには内緒にしといて下さいよ。すぐ説教するんだから。わざと防御しなかったなんて知れたら、なにを言われるか分かったもんじゃない」
 子供のようなカツミの言い訳にユーリーが吹き出す。そして必要以上に心配してしまう理由に気づいた。
 放っておけないのだ。カツミは自然に手を差し延べたくなる何かを持っている。彼に近しい人は誰でも、同じように感じたんじゃないだろうか。
 フィーアがあと少しでもカツミのことを知ったなら、あんな結末はなかったかもしれないのに。今さらどうしようもないが、ユーリーはそう思わざるを得なかった。

 ルシファーがフィーアに好意を持っていたとしたら、確かにカツミを憎むかもしれない。しかし同じ立場にいる自分は、カツミのことを憎む気になれないのだ。
 ほんの少し知っただけで。ほんの少し本音をやりとりしただけで。同じ立場に立ちながらも、まるで違うものを見ている。そう。表面だけでは分からない。ましてや高い壁を築いてしまっているカツミには、なかなか踏み込めない。
 ずいぶんと損をしていそうなカツミを横目で見ながら、ユーリーは複雑な心境になっていた。