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アデル 第十八話 隠

 ──満月と新月のはざま、幾通りの顔を見せながら月は急ぐ。
 無限に同じ軌道を進め、しかし同じ色をみせぬ。あまたの事象を照らしみる、その冷ややかな光。永遠に変わらぬ影。
 完成と未完との境目で月は歌う。何をとって満たされぬと定義するのかと。
 爪のような三日月に足りぬと笑うは愚か。一刻一刻がまぎれもなく月の姿。そこにどのような疑問も当てはまらぬ。

 ◇

 十月なかば。厳しかった残暑がゆるゆると去り、窓外の竹林を満月がしっとり照らしていた。
 しんと静まりかえった夜更け。久しぶりにつけたラジオから漏れでた曲に、夕星はふうと深いため息をつく。そして最後の一音が終わるよりも先にスイッチを切った。

 アデルの運用検証は順調だった。しかし、かつて父のパトロン的存在であった人物の横槍で中断されてしまったのだ。
 数河是空(すがわ ぜくう)。日本有数の資産家で、夕星の会社の大株主でもある人物。古美術品の蒐集家コレクターで、意欲的に芸術家への支援もしている。
 その彼が、検証に協力するという名目でアデルを連れて行ってしまったのだ。

「そういえば、数河さん。一気に老けた感じだったな。わたしの個展には来てくれてたわよ。アデルに興味津々だったわね」

 葉月の話では、なんでも数年前に妻を亡くしてから、定例だった個展巡りが激減したらしい。使用人はいるであろうが、親族は同居していないとのこと。資産家にありがちなドロドロした揉め事も絶えないのでは、と。

 期間は一週間だった。夕星は条件として、リアルタイムでアデルの視界映像や聴覚音声をデータ送信するという案を飲ませた。ただ、数河はそんなことはお構いなしに、アデルを性の相手として付き合わせていた……。

 夕星は、そのことを誰にも言えずにいる。もちろん葉月にも言えない。数河は会社の大株主。この事実が外に出されることなど決してないのだ。
 データを受信すれば、嫌でもアデルの視覚映像が飛び込んでくる。見たくはないが、確認しないわけにもいかない。アデルのAIにはデータが蓄積されており、どのみち知る情報でもあった。

「くたばれ。エロじじい」

 毒づいた言葉は、そのまま自分に跳ね返る。性行為によるヒーリングを夕星は排除出来なかったのだ。言葉や触れることの延長にある基本的欲求。ヒーラータイプの隠されたウリの部分とも言えた。だからこそ最上級のスキンを使い、鋭敏な皮膚感覚を与えていると言ってもいい。このタイプは、個人で所有されることも前提にした仕様なのだ。

 イライラしている自分の心情が、やけに滑稽だと夕星は感じていた。検証が終われば、会社は増産体制に入るのだ。それこそ、数河は運用検証に協力してくれている。自分がいまだに手出し出来なかった分野の検証に。

 夜は自宅に連れ帰る。そのような公私混同が許されたのは、この件の検証が必要だったためである。とっくに埋まっていなければならないチェックリストが、ずっと空欄だったのだ。研究者としては失格といっていい。

 ヒーラー型アンドロイドが増産されれば、様々な名前をつけられ使用されるだろう。しかしアデルという一体のアンドロイドだけは夕星には別物になっていた。

 空っぽのベッドを振り返る。いつもならそこにはアデルがいて、あの澄んだアクアマリンの瞳を向けていた。最近では夕星の意思を先読みし、最適なタイミングで欲しい言葉を差し出すこともあった。胸に顔を埋め、撫でてくれと言わんばかりに甘えることも。

 数河にどんな扱いを受けたところで、アデルは単なる事実としてデータに残していくだけである。それどころか、数河の求めに応じて満足させることがアデルの行動原理……管理者の命令に従い、その利益に貢献していることになる。

 やはり滑稽だった。そもそも夕星はアデルを自分の理想通りに造りすぎていた。見た目だけでなく、その言動設計も全て、欲しいままに造形したのだ。
 過不足のない機体。優秀なテスト機。なのにアデルに覚える感情は、夕星にとって未知のものだった。

 『夕星は恋愛したことある?』

 アデルにグサリと向けられた問い。アデルこそ恋愛の出来ない存在である。その相手に対して、夕星は本来人間に向けるべき感情を持っている。

 墓穴を掘るとはこのことか?
 畳に寝転がり、夕星は天井を仰ぐ。月に照らされた竹林の影絵。それがザワリと揺れ、置き所のない心にも闇を伸ばしていた。


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