ダッド 不運の狂気と妖精の画家
今回の画家はリチャード・ダッド。
妄想に支配されたことで父親を殺害し、その後精神病院で40年以上過ごし、妖精の絵画を描いた画家です。
彼の代表作は「お伽の樵の入神の一撃」。妖精たちがたくさん描かれた絵です。
イギリスのロックバンド、クイーンのフレディ・マーキュリーが、この絵をテート美術館で見たことでインスピレーションを受け、「The Fairy Feller’s Master-Stroke」という曲が生まれました。日本語訳では「フェリー・フェラーの神技」とも呼ばれています。
日本語での「おとぎのきこりのにゅうしんのいちげき」って言われても、妖精の絵だって分からないけど、ぎっしりと妖精たちが描かれた絵です。
真ん中に木こりがいて、木の実を割る寸前。
一番上の右側に乳鉢をゴリゴリしてる妖精がいるけど、これは父親だそう。
んじゃ、概要はAIさんに。
リチャード・ダッドはイギリスの画家で、ヴィクトリア朝時代に活躍しました。以下にリチャード・ダッドの興味深い人生と作品について解説します。
生い立ちと才能
リチャード・ダッドは1817年にケント州・チャタムで生まれました。
13歳から絵を描き始め、20歳でロイヤル・アカデミー美術学校に入学しました。
その年に描いた作品「眠るティターニア」と「パック」は高く評価されました。
狂気と父親殺害
24歳のとき、ヨーロッパや中東を旅行中に精神に異常をきたし始めました。
妄想が激しくなり、父親をナイフで殺害しフランスへ逃亡しました。
精神病院での絵画活動
精神異常と判断され、フランスの精神病院に収容されました。
イギリスに戻された後、王立ベスレム病院(ベドラム)で絵を描き続けました。
妖精やフェアリーを描いた油彩画が特に有名で、未完の作品「お伽の樵の入神の一撃」はクイーンの曲にもなりました。
不運な運命:
ダッドはバークシャーのクローソーンにあるブロードムーア病院で生涯を終えました。
彼は亡くなるまでの40年以上病院に隔離され、絵を描いて過ごしました。
リチャード・ダッドは父親を殺害し精神病院内で妖精画を描き続けた画家であり、その作品は今でも多くの人々に感銘を与えています。
リチャード・ダッドが父親を殺害した背景には、彼の精神的な不調と狂気が影響していました。以下にその詳細を説明します。
精神的な問題
ダッドは若い頃から精神的な問題を抱えていました。彼は旅行中に精神に異常をきたし、妄想的な思考が激しくなりました。
この精神的な不調が彼の行動に影響を与えました。
父親との関係
ダッドは父親との関係が複雑でした。父親は彼の芸術的な才能を理解せず、彼を支持していませんでした。
父親との対立が激しく、その結果、ダッドは父親をナイフで殺害してしまいました。
逃亡と精神病院
父親を殺害した後、ダッドはフランスに逃亡しました。彼は精神異常と判断され、精神病院に収容されました。
イギリスに戻された後、彼は王立ベスレム病院(ベドラム)で絵を描き続けました。
リチャード・ダッドは、1842年の7月に弁護士であるサー・トーマス・フィリップと一緒にヨーロッパや中東を旅行して回りました。
この旅行中、彼は精神に異常をきたし始めました。当初は日射病によるものと思われていましたが、次第に妄想が激しくなり狂暴になっていきました。彼は自分がエジプトの神オシリス(冥界の神)の使者であり、同行者には悪いものが憑りついているため、殺さなければならないと信じるようになりました。この精神状態が後に父親をナイフで殺害する遠因となりました。
リチャード・ダッドは、精神病院内で多くの絵を描きました。彼の作品は妖精やフェアリーなどの架空の素材を精密に描写した油彩画が特に有名です。以下に彼が病院内で制作したいくつかの作品を紹介します。
「矛盾: オベロンとティターニア」 (1854-1858年)
この作品は、小型画面(約54×40㎝)にさまざまな妖精たちがびっしりと描かれています。
手がけてから8、9年経っても完成せず、未完のまま終わりました。
「お伽の樵の入神の一撃」 (1855-1864年)
この絵は、妖精の樵が固い木の実を割る場面を描いています。
クイーンの曲「フェアリーフェラーの神業」の元ネタとなった作品でもあります。
「バッカス祭の情景」 (1862年)
この絵にはラテン語で「人はそれぞれに不幸な運命を持っている。この世だろうと、あの世だろうと同じだ。この世であった不運は、あの世でも同じように加えられるに違いない」という詩が刻まれています。
ここでクイーンの「The Fairy Feller’s Master-Stroke」を。字幕を読むと「お伽の樵の入神の一撃」の内容を説明してくれてます(笑)
旅行中に発病したダッドでしたが、カメラのない時代なので旅行の風景を描き残すのが役割でした。ロイヤル・アカデミー美術学校で絵画を学んでいるだけあって、彼の絵はいわゆるアウトサイダー・アートではないと山田五郎さんは話してましたね。確かに、画面いっぱいに細密で描かれた絵は素晴らしいし、旅行先の絵も上手い。
にしても、死ぬまで40年以上も精神病院で過ごして絵を描いていたって、どんな人生だろう。昔は今のような治療薬もなかっただろうしな。
ダッドはスイッチが入ってしまうと妄想に操られてしまうけど、いつもは繊細な絵をきっちり描いているし、病気さえなければって思ってしまうな。
「バッカス祭の情景」にラテン語で「人はそれぞれに不幸な運命を持っている。この世だろうと、あの世だろうと同じだ。この世であった不運は、あの世でも同じように加えられるに違いない」という詩が刻まれている。
……す、救いがないって感じてしまったけれど。
AIに質問してみる。
リチャード・ダッドは、彼の作品や人生の中で深い哲学的思考を示していました。彼の絵画や行動から、いくつかの哲学的な観点を考えてみましょう。
神秘主義と超自然:
ダッドは妖精やフェアリーを描いた作品で知られています。これらの存在は超自然的で神秘的な要素を持ち、彼の哲学的な視点に影響を与えた可能性があります。
彼は人々が目に見えない世界や不可解な現象に興味を持つことを奨励しました。
運命と不運:
彼の絵画作品や言動から、運命と不運についての考えを感じ取ることができます。彼の作品はしばしば不運や運命の不可解さを描写しています。
「バッカス祭の情景」に刻まれたラテン語の言葉も、人々の運命についての哲学的な視点を示しています。
狂気と創造性:
ダッドは精神病院で絵を描き続けました。彼の狂気と創造性が交差し、彼の作品に独特の視点と深みをもたらしました。
彼は自身の苦悩や狂気を通じて、芸術を通じて人々に何かを伝えようとした可能性があります。
ってことで。
ダッドが自分の運命、不運を深く考えたのは当然だろうし、当時のイギリスは妖精ブームだったらしいので、妖精に惹かれたのも頷ける。
空想を思う存分広げられる妖精の世界を描く時だけは、彼のこころは自由だったと思える。というか願う。