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ONE 第二十六話 答えは与えられるものじゃない

 広いフロアには青い常夜灯だけが灯されていた。
 強化ガラスで隔てられたクローンの収容施設。千二百の専用カプセルがずらりと並ぶさまは、まるで墓場のようだった。
 照らし出されるのは幼顔のクローン。メーニェにおいての彼らは人間ですらない。技術の横流しで製造した特区でも、クローンは物として扱われる。特殊能力者を実質的に道具としているように。

「カツミ」
 声をかけられカツミが振り向くと、ドアの向こうにシドが立っていた。コツコツと軍靴を鳴らしてカツミに歩み寄ったシドは、真横に立つと分厚いガラスの奥に視線を送った。
「探したよ。時間を過ぎても寮に帰って来ないから」
「心配した?」
 二人の視線はクローンに向けられたままだが、シドの言葉をカツミが茶化す。
「ちょっとだけね」
 そう応じたシドだが、これまでとは違うカツミの印象に戸惑っていた。今までのカツミは、自分のことで精一杯。仕事を終えたとたんに自室に逃げ込むような日々を送っていた。なのに今は、自分の部署に残って思索に耽っている。

「このクローン、調整が上手くいかないんだ。オリジナルの感情が強すぎて」
「いまだに?」
「うん。暗示針を埋めたけど効果なかった」

 クローンのオリジナル──リーンの持つ感情。それは極めて扱いづらいものだった。『聞く者』である隊員がクローンの意識を探ろうとしても、特定の人物への愛憎に阻まれてまるで入り込めないのだ。

 憎悪しつつも愛情にすがりつくような激しい葛藤を、オリジナルは持っていた。受け継がれた感情の揺らぎは外から強制的に削っていくしかない。しかし無闇にそうすると、今度はクローンの精神を壊すこととなる。元は敵星からの輸入品。あまりにも皮肉な事態と言えた。

 この計画に最初から異論を唱えていたのが、カツミの愛憎の対象。特区の最高責任者。ロイ・フィード・シーバル中将。
 カツミは、父に予知能力があるのではと思うときがある。ロイはとても勘が鋭い。昔からあらゆることを先読みしてきたのだ。この計画の末路が、父にはもう見えているのではないのか。だからこそ自分の立場を損ねるにもかかわらず、異論を唱え続けているのでは。
 しかし、いかに特区とはいえ評議会で可決された作戦を拒否することは出来なかった。

「カツミにもクローンの思考が読めるのか?」
「分からないよ。ただイメージが飛んで来るんだ。それがあんまり純粋なんで気になっただけ」

 ──支配と従属。束縛と依存。
 求めるものがいるから、与えるものがいる。リーンのもつ渇望は、あまりにも大きすぎた。みずからを死に追いやるほどに。
 言葉の意味を解しかねて、シドがカツミの横顔をちらりと見る。しかしカツミはさっと話題を変えた。ここにシドが来た理由を知っていたのだ。

「ジェイに聞いた?」
「ああ。来週には別邸に移るって」
 シドがガラスの先に視線を戻す。彼はカツミの次の言葉を恐れていた。
「ドクター」
「……なんだ?」
「俺ね、たぶん大丈夫だから」
 すっと視線を送ったシドに、カツミが目を合わせた。
 シドにはカツミの言葉が額面通りでないことは分かる。あらゆる葛藤をどうにかして捻じ伏せ、ジェイの想いに応えようとしているのだろう。

「もう、心配かけたくないんだ」
「平気って顔じゃないな。無理するなよ」
 眉を寄せたシドを見て、カツミが小さく吹き出した。
「ジェイと同じこと言うんだね」
 シドはその笑みに痛々しさを感じた。放っておけば壊れてしまうのではと。しかし心配より先に、カツミに言わなければならないことがあった。

「あの時は、すまなかった」
 シドからの謝罪に、カツミが小さく首を振る。
「まだ痕が残ってるな」
「もういいよ。あれは俺が悪かったんだ。ドクターが怒るのも無理ないよ」
「殺されかけた相手に言うことか?」
「だよね」
 カツミはシドを責めなかった。かつてのジェイのように。まるで彼を映しとったように。
 シドの苦笑に微笑で応じたカツミが、部屋の外に歩き出す。それに倣い、シドもまた墓場のような場所に背を向けた。

「決行のメドはついてるのか?」
「年明けとは言ってるけど、今の段階ではなんとも言えない。馬鹿みたいだね。前線に出れば、人の死なんて当たり前にあるのに」
 カツミの呟きを聞きながら、シドはジェイの言葉を思い出していた。──カツミを頼む。それはとりもなおさず、自分に『生きて』カツミを見守ってほしいということ。
 シドはジェイの死後に後を追うつもりだった。もうずっと以前から決めていたのだ。しかしあの言葉が歯止めをかけた。
 カツミには通じているのだろうか。ジェイは何と言ってカツミの背を押したのか。今の笑顔はただの虚勢? それとも本当に分かって?

 くすりと笑い声をたてたカツミが、驚いて顔を向けたシドに探りを入れた。
「今、本当に分かってるのかって思わなかった?」
 シドは目を見開き、足を止めた。
「ごめん。勝手に意識が飛び込むことがあるんだ。肝心な時は聞こえないのにね」
「その質問には……答えてくれないのか?」
 戸惑いながら訊いたシドに、カツミが小さく首を振った。
「まだ分からない。でもジェイは傍にいてくれるって言った。死は消滅じゃないって。俺はジェイの言葉の意味を考え直してる。答えは人に与えられるものじゃないから」
「そう……だね」
 安堵と戸惑いのなか、シドはそう答えるのが精一杯だった。

 ◇

 来客の合図。自室のドアを開けたカツミの目に、久しぶりに見る姿が映った。セアラが、ふふっと可愛らしい笑みを見せる。
「お久し振り。2サイクルしか経ってないけど」
 その短い間に、カツミには天地が返るほどの出来事があったのだ。キッチンに立とうとするカツミを遮ると、セアラが珈琲メーカーをセットしながら弁解を向けた。

「ごめんね。私、どうしたらいいか分からなくて。正直ずっと避けてたの。まさかフィーアが、あんなことになるとは思ってなかったから」
 黙り込んだカツミに、そんな顔しないのと笑みを投げかけるセアラ。部屋中に満たされていく珈琲の香り。

「今日ね。実はドクターに頼まれて来たの。ジェイが退官することも聞いたの」
 まったくあの人は。そう思いながらも、カツミは少しだけシドに感謝した。

「寂しくなるね。身体壊してるなんて全然知らなかった。フィーアのことも」
「……そうだね」
「今さらだけど。私ね、フィーアにカツミくんの親友になってもらいたかったの」
 意外な言葉だった。驚いた視線をふわりと笑みで受け止めたセアラが、かぐわしい香りを連れてカツミの向かいに座る。
「カツミくん、フィーアのこと認めてたものね。そんなこと滅多にないのに」
「んなことないよ」

 むきになって否定するカツミ。セアラの指摘は図星だったのだろう。それを確かめたセアラが、大きな瞳をくるりと天井に向けた。確信を覚えた笑みを添えて。
 してやられたカツミは、カップを取り上げて湯気に顔を埋めた。まだからかうのかよ。そう思って身構えていると、今度は違うトーンのセアラの声が届いた。彼女は真顔だった。

「ほんとはね。私、フィーアに譲りたかったの。カツミくんが、いつまで経っても私のこと認めてくれないって拗ねてた」
「セアラ」
 しかしセアラは、カツミの言葉を遮るように片手を上げ、きっぱり言った。
「でもそんな考えはやめたわ。友達でもいいの。ずっとこうしていたい。……嫌?」
 カツミはほっとしたが、そうは言えない。苦笑で誤魔化す彼に、今度はセアラの方が焦れてむくれる。

「なんとか言ってよね。恥ずかしいんだから!」
 唇を尖らせるセアラ。しかし彼女から向けられる温かな想いが、カツミの心を優しくときほぐす。
「嫌じゃないよ。それに俺は、ほんとに認めてないやつとは口もききたくないし」

「よしっ!」
 嬉しそうに声を上げたセアラが、さっと腰を上げた。
「えっ。もう帰るの?」
 カツミの引き留めが嬉しくて、彼女の口から自然と笑みがこぼれる。
「なんだよ。笑ったりして」
「だって優しいんだもん。気付かない? カツミくん、前よりずっと優しいの」

 セアラは幸せを感じていた。カツミがこころを開いてくれることに。その瞬間に立ち会えたことに。
 きょとんとした視線に背を向けて、照れを覚られないように言い残す。
「やっぱり、友達じゃなくて恋人にしといてね」
「なんだよ。それ」

 わけが分からないまま取り残されたカツミは、閉まったドアに向かってぼやいた。
 部屋に漂う珈琲の香に、ふわりと頬を撫でられながら。