新しいリッチ テキスト ドキュメント I

 君も書きなさい、と、その人は言った。私は少し、頭を抱えた。
 なぜなら、文章を書くのが得意ではないから。というより、いつの日からか得意では無くなってしまったからだ。

 小学生の頃、教科書に載っているある物語を、主人公と異なるキャラクターからの視点で書き直せ、という課題があった。
 ゲームの電源を引っこ抜かれたことで不仲になった父と子が、共にカレーライスを作ることで関係を回復し、そしてより強い繋がりを得る、という、いかにも教科書らしい作品だったと思う。
 私はこの作品を、できるだけ主人公の言葉と同じレトリックを用いながら、正反対の視点、すなわち父の視点で書き直すことにした。まあまあ読書が好きだった私は、小学5年生の身の丈に合わないような技法を多用して、8000字近くの大作を書き上げた。
 結果は想像以上だった。担任から別クラスの担任へ、そして学年主任へ、教頭へ、校長へ、そしてなぜか教育委員会まで上っていった私の原稿は、クラス通信から学校だよりにまで掲載され、これは本当に訳がわからないが、町長から手紙が届いた。

 成長には成功経験が必要だと思っている。もちろん失敗から学ぶのは大切だが、何をしてはいけないか、より、何をすればいいのか、を知ることのほうがよっぽど有用だし健全だ。
 私は強烈な成功経験を得て、もっと多くの文章を書いていくことに決めた。父親から譲り受けたPDAに妄想を書き出した。私は小さい頃からオタクだったから、自分の知っている様々な作品から、好きな設定を抜き出して作ったキメラのようなSF小説を書いたりしていた。
 ただ、私は飽きっぽい子供だった。数年経った頃、誰に見せるでもなく続けていたSF小説を終わらせると、それからPDAを開くことは無くなった。活字に触れることも減っていった。結局、中学を卒業するまでに、ハマっていた艦これのSSを何本か書いただけで、それ以外ちゃんとした創作をすることはなかった。

 小さい頃からオタクで、メカとパソコンが好きで、SFが好きな人間が進む道は何か?
 答えは、JR秋葉原駅電気街口か、高等工業専門学校のどちらかだ。私は後者に進んだ。高専での生活は中々強烈だったが、この話は今度したいと思う。
 私が高専で得たものは多い。コードを読み書きする力、技術文章の読み方と書き方、対人関係の構築方法、良い成績の取り方、オタク同士での遊び方、LaTeXの書き方。失ったものも多いのかもしれないが、元々何を持っていたのかわからないので、失ったものを知るすべはない。
 ただひとつを除いては。

 それは、文学的な文章を書くための力だ。

 技術文章を書くにあたって最も大切なことは、誰が読んでも――それこそほとんど造詣のない人間でも――理解できる、完全に明示的で、明確で、驚くほど冗長な文章を書くこと、だと学んだ。というより、そういう文章を書くとA+が取れた。
 技術文章にレトリックは必要ない。はらはらさせるような表現はどう考えてもお門違いだし、信頼できない語り手も、プロット・ツイストも必要ない。起承転結もあまり賢い構成とは言えないし、オタクが大好きなメタ視点もループものもメリーバッドエンドも全部不必要だ。
 必要なのは、明確な筋道と、それに由来する断言か、もっともらしい推測だけ。それ以外が加えられると、成績がアルファベットの後ろ側へとどんどん退化していく。

 飛行機は、特に軍用機は、凄まじい冗長性を持っている。翼が一本ちぎれようとも、エンジンが止まろうとも、対空砲に穴ぼこを開けられても飛び続けられるように出来ている。パイロットが死にかけていても飛ぶ。

 技術文章とは、そういうものだ。
 全てが蓋然性を持って存在する技術文章の中では、Twitterのオタクに忌み嫌われているような「筆者の心境を述べよ」という問いが、まず根本から発生しないように出来ている。
 良く出来た技術文章は、言語も国境も宗教も信義も超越する。筆者がたとえエイリアンでも、殺人バクテリアでも関係ない。この研究はこういう理論を提唱してこうやって検証してこんな結果が出てこう考察した。このデバイスはこういう目的で作られこういう設定をすればこう動く。それだけを無機質に書く。筆者に必要なのはそれだけだ。

 私はそういう文章を書く訓練の中で、丁度良く答えをぼかす方法とか、読み手を惹き込む方法とか、そういった技術を全て失ってしまったのだと思う。今や「答えはAである。なぜなら<理由>であるから」というアーキタイプを、どう違和感なく口語に出来るか、ということだけを考えて文章を書いている。もはや技術文章しか書けないのだ。

 この文章でさえ、緒言・仮説・観察・考察、という、技術文章の定番をなぞってきてしまったように。

 そういうわけで、結言に入る。たかだか140文字の散文か、PDF何ページ分かLaTeXファイルしか書かない人間が、どうにかして文学的な文章を取り戻そうとした結果がこの通りである。
 私にはもう、面白い文章が書けない。

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