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「なんで僕に聞くんだろう」に寄せて

幡野広志さんのcakes連載、「なんで僕に聞くんだろう」が2度の炎上騒動を経て、この度最終回を迎えた。
幡野さんがどういう人か、炎上騒動や最終回の内容については、Twitterを始めとするSNS等、ネットで検索してみればぞろぞろと出てくる。
この件について、誰が何を思い、どう考え何かを実行したかしなかったか についても、ネット検索で知れる。

自身は一介のネット愚民である事を知っている私が、今更書くことなんて誰も読まないだろう。
(フォローしてくださっている方は投稿されたことを知って読んでくださるかも。
久々に書いたと思ったら、駄文で申し訳ありません…)
でも、私はどこを覗いても読むことがなかった私だけの意見を持っている。
同じ考えの人はいないのだろうか?
同じ考えの人が居ようが居まいが、私自身は何も感じないが、もし、万一、オリジナルの考えを持っているのに、ぞろぞろと大声で発信されるそれらに巻かれて、自分自身を失うのはもったいないことだと思う。
これは、別にこの件に限ったことではない。

なので、私が考えたことを書いておこうと思った。

皆様、そのまま、誰にもはばかることなく自身の考えを保持してくださいな。
これから生きて行く上で、間違ったな~と思うなら、やっぱり誰にもはばからず修正して下さいな。
別に誰彼に公表することなく。
それが、これを書いた理由だ。


余命宣告を受けた人をすべて同一視はしない。
でも、私が共通して受ける一つの印象がある。
それは、突き詰めた感じ であり、伝わりにくいと自身も思っているであろう優しさであり、
「何かを捨てて、残りで発言している」感である。
この人にこう言われてはおしまい と言うと語弊があるし、これを読んでいる人には伝わらないかな?
でも、私は幾度となくそう思った。
「これでとりあえず、ケリをつけて先に行こうか」と言ってるのではないか。
一番かけたい言葉はそれではないか と。

私は過去に、唯一絶対で、親友だ と思った人を亡くしている。
その人は自分の余命が少ないことを知っていた。
私がそれを知っていることも知っていた。

その人に相談事を持ちかけると、思ってもいない切り口でばっさばっさと色々片付けられた。
まったく容赦がない と二人でよく笑った。

私が考えている核の中にあるものを感じ取り、それをすくいあげるのがとてもうまい人だった。

最後に必ず言う。
「お前はきっと私よりも長く生きるのだろうから、色々言ったけれど、生きている人と話してその時々うまく泳げ」
と。

私はこの人を失ってから、「どうしたらいいのでしょう」と言う意味での人生相談は誰にもしたことが無い。

たまたま「人生相談」コーナーが設けられているから
他者は、相談者と回答者、それぞれの話を知ることが出来る。
TVやラジオの人生相談、雑誌でも相談コーナーが多くの媒体に散見し、
誰かが相談し誰かが答える ということは全然珍しいことではない。
そこで大団円で終わっていても、外野が全く違う感想を持つのも珍しいことではない。

ただ、私は思う。
その相談事は本来は、相談者と回答者のものだろうなと。

私がその相談者さんを知っていたらこうは答えない。
私だったらこうは答えない。
私だったら…

でも、あなたは選ばれていないわけです。
知らない人だから と言うかもしれませんが、知っていても選ばれないかもしれないわけです。

なぜこういうかと言うと
私は、自分の過去の親友との相談事を、別の人に話したことがあり。
私の悩み事、親友の返事を聞いたその人は
「酷いこと言われたね」
と私を慰め始めたわけですよ。
「酷いこと言われたんだ…?私」とこちらはびっくり。
もうその相談事はケリがつき、片付けて先に進んだ私は、酷いことを言われた自覚ナシ。

相談事を、他者が知るときには
相談者と回答者が想定し得ないものを見出し、考え、感じることがあるのだな とその経験で知った。
どっちがベストアンサーであるかは分からない。
先があるなら先に進まないと分からない。
私は、その人を相談相手には選ばなかった。
親友に話して、アドバイスをもらい、先に進んだ。
後悔はない。

相談コーナーに置ける話はこれとはちょっと違うが
相談者と回答者の間に一定の信頼感があるならば
外野には口出しできないものがある と言うことも考慮の必要があると考える。

それでもただ一つだけ言えるのは
相談者に対する回答が
相談者の先を奪ってしまう可能性があると思うなら、
間に合うならば
外野はガンガン言わなければだめでしょう。
それが、相談事が公開される意義 と思います。
そして、外野が存在する意味でもある と考える。

人生相談という場を提供している媒体は、そこをちゃんと分かっていなければならない。
配慮が足りない、酷い と言う声は
とてもいいお話を知りました ありがとう と言う声よりも
ずっとずっと大きいと想定していなければ、相談者も回答者も守れない。

逆だといいが、この世は今、心の隙間だらけで
誰しもが我先に心の隙間を埋めたがっている。
そう言う状況だからこそ、今逆はあり得ないと思う。

心から案じての反論、追加アドバイス的なことも
心の隙間を埋めようと、見当違いな方向からの怒りを持ってくる人もいるわけで
丸ごと魑魅魍魎化する可能性だってある。

とかくこの世は世知辛い…

こういう世の中であるからこそ「人生相談コーナー」は必要だろうな。
それなのに
相談する側も、答える側も 辛い世の中になりつつある と思った一件だった。












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