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【お話しましょう】かっこつけない文章 他

こんばんは、如月伊澄です。

タイトルの「○○ 他」の”他”が好きです。終わりかと思ったら、まだおまけがあるのってわくわくしません?

【かっこつけない文章】

この本、ご存じですか?帯に仰々しく「東大・京大で一番読まれた本」と書かれていて、イスミさんは天邪鬼なので「じゃあ読まないよ」をしていたのですけど。

少し前から、芸人の若林さんが帯を書いていて「哲学書で涙するとは思いませんでした」と。
なるほど、若林さんがそこまでいうなら読んでみようかなと思って、手にしました。

実は11月末に読み終わっていたのですが、内容が難しい。
せっかくだから読み終わったら記事にしよう、なんて浅はかな考えを一蹴されて塩漬けしてました。

なぜそんなことになったのか。

それはどこか文章に対してかっこ付けている部分があって、記事を書くなら深いことをいわなければいけない、とか、わかったような顔して書かなければいけない、とか、そういう見えない縛りみたいな、そんなものに囚われていたのだと思う。

別に「読んだけどよくわかりませんでした」でもいいのにね。

じゃあなぜ今になって、急に記事にしたかといえば、偶々この動画を見つけたから。

この対談の中で「暇と退屈の倫理学」をテーマとして、話が進んでいく。
「難しいなーわかんないなー」と、あのときなんとか読み終えたからこそ、二人が何を話しているかわかる。楽しめる。

もちろん、未読の人でも楽しめる動画ではあるはずだ。
でも、テーマについて知っているのと知らないのでは、受け取り方も感じ方も違う。

今日初めて、あの読書時間を供養できた、そんな気がしたので記事にしました。

【暇と退屈は悪いものなのか】

動画の中で「退屈だから改善や変化のきっかけになる」といった話がある。
人間は本来狩猟民族で、移動する=常に変化がある世界、が本能的に合っているので、定住することで変化のない日々が、暇と退屈を生んだ、そんな話。

しかし、現代では人は退屈しない。消費するものが膨大にあるからだ。
スマホ一つでいくらでも暇は潰せるし、動画も映画も、家から一歩も出ないで世界旅行をしたり、指先一つで何でもわかったような気になれる。

退屈しなくなった人間は、そこでストップできる。
改善も変化も自分で考える必要がない。退屈したら、また新しいものを消費すればいい。
ただ次々に生まれてくる新しいものを消費するだけで、それなりに人生楽しく過ごすことができるはず。

それでも退屈してしまう人間もいる。生きづらい。
みんなと同じにはなれなくて、退屈をどう紛らわせていいかわからない。
焦りや不安をいつも感じていて、自分で何かを生み出さなくては、とそんなことを考えている。

結論はないけれど、私もそんなことを考えてみた。
たぶん、この本が教えてくれたことは「自分で考えて、発信しろ」なんだと思うので。

「あなたがやってもいいんですよ」
だって、その言葉が何度でも背中を押してくれる。


少しだけでもあなたの時間を楽しいものにできたのであれば、幸いです。 ぜひ、応援お願いいたします。