I don't know

 お姉ちゃんが帰ってきたのは突然だった。
 お母さんの話だと付き合ってた(私はこう呼んでいたけど)お兄ちゃんと別れたみたい。

 お姉ちゃんに最後に会ったのは去年。
 その時より髪の毛は短くなってて(お姉ちゃんも人並みに失恋を散髪で表現するんだ)なんて思った。

 家に帰るなりお母さんから何か言われてたけどはいはいと受け流して自分の部屋に入ってガサゴソと物音が聞こえてきた。
 私は挨拶しようと部屋の扉を小さくたたいたら中から「は~い」と間延びした返事が返ってきて以外に平気なのかなと考えながら扉を開けた。

 部屋の中では段ボールの中に物を投げ入れるようにして片づけをしてるお姉ちゃんの姿があった。

「お姉ちゃん、 それ捨てるの?」

「あ、なんだ千絵じゃん。 そうだよー、 これ全部もういらないし」

 見覚えのあるものから全く分からないキーホルダーとたくさんの思い出(今じゃゴミ)を切り捨てるように投げ捨てていく。

 その中から目を引いたものがあった。

「そのCD……」

「ああ、これ? あいつとあんたよくこれ聴いてたよね」

 そのCDはお兄ちゃんがよく聴かせてくれた音楽が入ってた。
 いつもいろんな音楽を聴いては悦に浸っていたけどこのCDだけは特別みたいで私に「こいつがかっこいいんだよ。 バンドサウンドと女ボーカルの抒情が」とかなんとか言ってたけど当の私はそんな専門的な言葉は分からなくて心地よく聴いてたのを覚えてる。
 もうとっくに解散しててこのCDは特別なんだってお兄ちゃんは言ってた。

 そんなことを思いだしていたら。

「欲しいの? まぁ捨てるかと思ってたしあげるよ」

 とお姉ちゃんが言ってくれた。
 私は二つ返事でCDを受け取ると少し寂しそうに「宝物にしてやんな」ってお姉ちゃんは笑って言った。

「あいつが大事にしてたからね」

 ◇

 
 部屋に戻ってそういえばと思い出す。
 前はCDプレイヤーとかあったけどスマホに変わってからこういう媒体を流すものって駆逐されたな、と。
 私が初めて聞いたときはお姉ちゃんの部屋にあったCDプレイヤーで聴いたっけ。
 今はどうやって人と音楽を聴くのか思いつかないや。

 そう考えながら高校を卒業した時にもらったパソコンにディスクプレイヤーがあったのを思い出してCDをセットした。
 Bluetoothイヤホンに変わってから有線もなくなったなって考えながら机の引き出しをあさる。
 出てきた、 高校の時に使ってたイヤホン。

 少し埃をかぶったイヤホンはなんだか見てるだけで色んなことを思い出させるけどもう持ち主を見失って煤けたのかもしれない。
 丁寧に拭いてパソコンにつなげて音楽を流す。
 激流のような音に叫ぶようなボーカル。
 それは今でも衝撃的だった。
 これを聴いてるときお姉ちゃんはいつも「こんな音楽聴かせないでよ」ってお兄ちゃんに言ってたっけ。そしてお兄ちゃんは怒られた子供のようにすこししゅんとして笑ってたな。

 しばらく思い出にふけりながら聴いていると、再生画面の表示が目に入った。
 確かこのCDは4曲しかないはずなのに4曲目がとっても長い。
 録音した時のミスかなってしばらく考えているといきなり音が鳴り始めた。

(これって……)

 激しい音とは真逆の少し寂しさが残る旋律を何かを求めてるかのように歌うボーカル。
 打って変わって終わりは静かに……。

 こんな曲あったんだ……。
 曲が終わりイヤホンのおかげで静寂が私の周りを支配した。
 放心状態になって数分経ってたからまた聴こうかと思ったけど、やめた。
 なんだかこの曲はすごく大事にしないといけない気がしたから。

 
 ◇ 

 なんとなく気になってこのバンド名を調べてみたけど情報はあんまりなかった。ウィキペディアにも載ってない今では誰にも見つからない存在。
 東京で活動してて私が調べたときには解散になっていた。
 
 もっと早く調べていたらなと思いながら調べているとボーカルの名前があった。
『mari』
 というのが彼女のステージネームだったみたい。
 
 今度は名前のほうで検索してみるとSNSが上が出てきた。
 『mari』とは名前は違うけどなんとなくこの人だと思った。
 今は子供が生まれて幸せに暮らしていた。
 そこにはバンドにあった暗さや黒い物なんかなく、子供がやったこと、目玉焼き、そしてちらりと映るギター。幸せの形がしっかり記されていた。

 そんな写真を見ていると新着のポストが上がった。

 『ライブ、やります。 昔みたいにバンドじゃないけど来れる人は是非』
 
 短く、そう綴ってある。
 
 こんな偶然なんてあり得るの?
 たまたまもらったCDでたまたま見つけたのに。
 場所は渋谷と恵比寿の間にある小さなライブハウスで私が住んでいる場所からも遠くない。



 音楽はそんなに聴くほうではなかった。
 教えてもらう相手はお兄ちゃんとせいぜい歌謡曲のランキング。
 批判でもないけどわざわざ聴くほどでもなかった。
 なんとなくそうやって浅く聴いてると誰とのつながりもないことがわかるから。
 
 なぜか続きの曲を聴いていた時泣きたい気持ちになった。
 お兄ちゃんももういなくてお姉ちゃんも気持ちの区切りがついて私だけさよならも言えなかったのかななんて考えたりして。

 外したイヤホンを見つめる。

(またね)

 そう私はひとりごちた。

 ◇

 渋谷駅から出た時には人の多さに圧倒された。
 人が多いのは好きじゃないし顔の判別もできないほど人がいるとマネキンの中に私ひとりいる気がして。
 私もそう考えるなら他の人もそうなのかな。
 そんな考えをしながらカバンの中に入れたCDを触りイヤホンをつけて周りの音を遮断して歩く。

 駅から警察署の方に向かって歩くと途端に人が少なくなっておかしな気持ちになった。
 やっと人が人だと判別できるくらいに歩く人は少ない。
 ライブハウスに向かって歩いていると最早、私だけしかいなかった。もしかして自分は勘違いしてるんじゃないかと思った。本当は名前が同じ違う人であの人はいなくてお兄ちゃんと聴いたバンドはもうどこにもいなくて、そう考えだすと馬鹿らしい気持ちになる。お姉ちゃんとお兄ちゃんがつながっていたものを私がもらって私ひとりで盛り上がって。
 そう考えながらイヤホンから流れる曲は4曲とシークレットトラックの静寂になる。私の不安を表すみたいに、静かな時間が流れて地図を頼りに歩いていたら目的のライブハウスに着いた。見た目は古いビルで地下に下りる階段の横には黒板に今日のライブが書いてある。『mari』 そう書いてあるのを確認して階段を下りてみた。
 心臓がバクバクする。頭もくらくらしてきた。なんでこんなにライブが怖いんだろう。イヤホンから流れる声は変わらない調子なのに私の調子は変わっていく。

 イヤホンを外して薄暗いエントランスに行くと優しそうなお姉さんが案内してくれて私は一言も出せずに中に入れてくれた。
 ホールには私よりずっと年上の人やお姉ちゃんと同じぐらいの人がぽつりぽつりと。複数人で来ている人もいたけどひとりで来てる人のほうが圧倒的に多くて安心した。
 そう高くもない低くもないステージに置いてあるアコースティックギターのボディがライトで輝きを放っている。ボディには(下の方っていうのかな?)傷跡があってそれがたくさん弾かれた証拠のように見えてくる。
 開演時間に近づくとだんだん人が増えてきて私は自然と扉とは反対側の壁に落ち着かない様子で立っていた。
 
 やがて照明が落ちてステージだけが明るく照らされた。不意に耳鳴りがしそうなほどの静けさとともにステージ脇から彼女は現れた。スキニーにTシャツという格好の女の人でゆっくり歩きながらホールを見るなり小さく笑って手を振った。
 私はこの人があのバンドのボーカルなのか分からなくてぽけっとした顔で見ているしかなかった
 中央に置かれたギターを少し撫でて肩にかけると「じゃあ、 はじめるね」と言って弦を弾く。
 初めはなんの曲か分からなかったけどだんだん聴いているうちに1曲目の歌詞を歌ってようやく彼女が『mari』なんだと分かった。今はすぐ目の前に声と音しかないんだ。頭の中にあった雑音は消え去ったんだ。私がいる空間にその音楽はある。淡く光る白い明りの下に。



 ◇


 ライブが終わった後、私はほとんど意識を取り戻せないままにライブハウスを後にした。頭はふわふわしてるのに足取りは確かで。
 このまま、立ち止まってはいないような気もしながらでも名残惜しい気持ちがありながら、私は近くにあった喫茶店に入った。
 コーヒーを頼んでから何度も思い出した。お兄ちゃんと聴いた曲やこの間見つけたシークレットトラック。
 確か彼女は「この歌を知っている人は私から感謝を伝えたい。 ありがとう」と言って歌い始めた。
 何度も何度もギターの響きとあの歌声を思い出す。昔みたいに闇に向かって叫ぶような消えてしまいそうな声じゃなくて暖かな音になって。
 この思いを誰かに吐き出したい気もしたし、だれにも一言だって言いたくない気持ちもあった。
 CDの歌詞カードを見て頭を巡らせるように、糸が途切れないように考える。私は私の言葉を待っていたんだ。彼女の透き通った声とやさしさを思いながらお姉ちゃんとお兄ちゃんを思い出した。お姉ちゃんとお兄ちゃん、二人の関係に私がいて幸せだった。音楽を聴かしてくれた時もお姉ちゃんが窘めながら一緒に聞いていた時も。二人が高校を卒業して家から出て行ってさみしくなって、置いて行かれた気分になって、今になってもう会えないんだという悲しさを持つようになるなんて。もしかして私はお兄ちゃんのことが好きだったんじゃないかなんてさえ思い始める。

 どのくらいずっと考えるでもなく考えているような時間を過ごしていたのか。コーヒーはしっかり冷めていた。

 扉のベルが鳴って、ふと目を上げると女性と目が合って私はどきりとした。彼女は私が持っているCDと私の顔を何度も見返して目を見開いて驚いている。
 私も彼女がだれか分かった。あの恰好と肩にかけたギターケースをみて。何度も立ち上がりそうになりながらそれでも動けなくなる。彼女もそうだったのかもしれない。
 彼女の口元がぎこちなく微笑みの形になってその少し明るい瞳が私をまっすぐ見て少し潤んだ。彼女が先に何か言う前に私も何か言わなきゃいけないような気がして頭を働かせているとふと視界が不鮮明になった。泣いてるのだと、後になって気がついた。取り繕うとしようとしても体はいっさい言うことを聞いてくれなくて何か言わなきゃいけないのに口は開けては閉じてを繰り返して、その様子を見た彼女は今度は自然な笑顔で私に

「ありがとう」

 と声をかけてくれた。私は胸がぎゅっとしまって、嗚咽を漏らさないように唇を固く閉じて深々とお辞儀をした。
 彼女は私を抱いて何度もありがとうと繰り返した。
 私の持っているCDを見て懐かしいものを見るような切なそうな顔をした後、CDに優しく触れて

「私はやめないから、だから、またね」

 と言って店の奥に向かっていった。
 私はまたお辞儀をして、涙を拭うように目を瞑ってから彼女がしたようにCDを撫でた。
 彼女の背中を見て、ふわふわした気持ちで軽々を済ました後、外に出ると外はあのステージのように薄暗く道だけを青白く照らしていた。

 家に帰る途中、彼女の微笑み、口にしたかったたくさんの言葉、歌声、シークレットトラックを何度も思い出した。
 空気を大きく吸って吐いて、それからまた歩き出す。
 お姉ちゃんにもお兄ちゃんにも伝えたくないたくさんの思いを抱いて。
 
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?