『白夜行』書評

東野圭吾著、『白夜行』がとても好きなので、手始めにこれに関して色々書いてみたい。

 ※ネタバレを含みます 

 この本ってミステリーとしての側面と、雪穂と亮司のラブストーリーとしても読めると思うんだけど、ラブストーリーとして読んだ場合に面白いのはこの2人が実際にやり取りしている場面が全くないので、その様子を想像するしかないというところかな。

 これは色んな芸術作品に言えると思うんだけど、Aというものを表現したいときにAというものを描いてしまったらそれはもうそこで完結してしまう。 例えば曲の歌詞に於いて「悲しみ」を表現したいときに、あえて「悲しみ、涙」などの悲しみと直結するような言葉を入れないという手法、僕はこういうやり方がとても好きなんだけど、『白夜行』は雪穂と亮司の恋愛描写が一切ないという点で同じことが言えると思う。 

 その点が不満なのがドラマ版で、とりわけプロデューサーの石丸彰彦が「亮司と雪穂をモンスターにしたくなかった」という理由で二人の関係を描いていたわけだけど、どうもこの理由は的外れな印象しか受けない。 だって僕は亮司と雪穂がモンスターだなんて思わないから。この原作を読んでこの2人がモンスターだなんて思う人は居るのかなぁ? テレビドラマという特性上、視覚的にこの2人を絡ませる必要という大人の事情があったのかもしれないと勘ぐってしまうよ。 

 話を原作に戻して、亮司と雪穂の関係はお互いを陰で守りあいながら生きていくなんて、ダークだけどなんだかロマンチックな感じだなぁと思ってたのだけど、よくよく見返したら亮司が雪穂を守っている事実は何度もあったのに、雪穂が亮司を守るために危ない橋を渡った事実って全くないんだよね。 

そうするとラブストーリーというか、亮司は一生掛けてでもいいから自分の父が雪穂に対してしたことの贖罪をしていたような気もする。彼が実父を衝動的に殺してしまったことで、その直接の原因となた雪穂=一生守るべき存在という風に殺人の衝撃と共に彼の人格の中に刷り込まれてしまったのかもしれないなぁ。

そうすると、雪穂のために亮司が手を汚せば汚すほど、その汚れの深さと雪穂の神性みたいなものが比例していってたんじゃないだろうか。正にどんどん深みに嵌っていってたというか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?