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運命の出会いと言っても過言ではない➁

 うまく行かないというのは、悔しいものである。
 ゲームにこっぴどく負けたことは勿論悔しいが、まず、ゲーム自体をちゃんと理解できない自分が腹立たしい。やる事をやって負けたなら仕方がないが、ゲームそのものを理解できなかった事が不甲斐ないのだ。
 その夜、私は「コヨーテ」というゲームについて調べた。その成り立ちやら、プレイレポートやら。
 このゲームは、他のメンバーとの駆け引きが重要。そして、手にしたカードの数字が重要なので、その場のカードの合計値をすぐに計算しなくてはならない。ゲームについて詳しくは書かないが、瞬発力と推理力と、ハッタリが必要である。
 …全く私に向いていないゲームではないか!
 でも、このまま負けっぱなしは悔しい。私は、密林を探し、まずはゲーム本体を購入した。可愛いイラストなんであるが、内容はシビアなのは身をもって分かっている。
 私は入手したマイゲームを使って自主練して、カードの読み込み方や計算に慣れる事にした。また家族に協力を仰ぎ、何度かゲームを体験した。
 そしてひと月後…リベンジの機会がやってきた。
 その夜も、【ふふふ】でゲームをやっていた。そろそろ店の閉店時間が迫り…オーナー大小さんの提案で、その時にお店に居る全員で短いゲームをやろう、という事になった。総勢10人。何をやろう?
 「コヨーテ、やりましょうか」
 え~!? この人数で? 数字読めない~💦
 血の気が引き、動悸が早まる。内心ドンヨリ…。また負けるよね。絶対負ける。でも、抜けるわけにもいかない。
 しかし…ふと思うと、10人いるうち、結局勝つのは1人だけ。あとの9人はみんな負けるのだ。10人いたら、どこかで負けたって目立たないよね?
そう思うと少し気楽になった。
 「コヨーテ」では、一人づつ数字を言って行き、その数字が怪しいと思ったら、次の順番の人だけが「コヨーテ(ダウト)」を宣言できる。その成否によって持ちライフが減らされ、3ライフ(時には2ライフ)消費で、退場になるのだ。
 要は、自分の次の人が、自分に対して「コヨーテ」しなければ、ライフを賭ける事態にはならない。メンバーが10人も居たら、隣の人の性格によって、幸不幸が分かれそうでもある。疑り深く、勝負を早めにかけてくる人が隣なら、すぐに「コヨーテ」されて、ライフをやり取りする羽目になるだろうし、慎重な人なら、あまり「コヨーテ」してこないとか。
 これは、とりあえずやるしかない。
 まずは序盤はおとなしく。はったりもブラフもなく、正直に。…いや、違う。私はあえて、おどおどした顔をして、「数字が読めない~💦」と呟き、ゲーム初心者を強調していた。潰される順番を遅くして、戦う相手が減るのを待っているしかない。
 一人、二人…少しづつメンバーが減っていく。私は何とか生き残った。
 こういう成り行きで想像がつくかもしれないが、結末を急ぐと、私は最後まで生き残ったのである。
 最後の方に残っていたのは、年配のベテランゲーマーの方々。か弱い小動物演技をして生き残っていた私に対して、絶対に余裕を持っていたと思う。
 最後の対戦、相手は間違いなく今夜のお客さんの中でNo1のベテランゲーマー。表情に余裕がある。今までの私の挙動から、ブラフをかけてくるとは、全く思ってはいないはず。だからこそ、そこに私がつけ込む隙があるはずなのだ。
 ラストゲーム。当然、相手は私に「コヨーテ」をかける。
 でも、それは私がここまで周到に張ってきた罠なのだ。私は、相手をペテンにかけることに成功し、9人の敵を退けたのだ。
 今でも、人を欺く系のゲームは苦手である。
 でも、この時の勝利があったから、もっともっとボードゲームをやりたい!と思えたのだ。

 ボードゲームは、人生も最後の時期に来て、新しく出会えた楽しみである。見知らぬ人と、たまたまその時ゲームをする。そんな濃密な瞬間が、今までにはない時間の過ごし方で、新鮮なのだ。
 これからも、ボードゲームを教えてもらいに【ふふふ】に通うだろう。
 無駄に過ごす時間も多かった私の人生の中でも、これはとび切りの出会い。それは間違いがない。
 

 
 
 

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