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木原事件 警察官僚の日本支配

官僚は一度言ったこと、一度やったことを誤りとして認めることは殆んどありません。例え悪い結果が出て、判断が誤りだったことが分かったとしても「判断をした時点では正しかった」と強弁します。これは明治時代から言われていた「役人の無謬性」つまり役人は間違いをしてはいけない、だから間違いはしないというと言う無茶苦茶な理屈ですね。そして民衆に対しては「由らしむべし知らしむべからず」つまり「為政者は民衆を従わせればよく、為政の詳細を教える必要はない」と言うことを役人は若いうちから教えられます。「どうせ分からないのだから詳しく説明する必要はない」と上から目線丸出しです。そう言えば國松警察庁長官の狙撃事件でも当初発表したオーム教団による犯行説に拘り、別件で逮捕された犯人が狙撃したことを自供し、秘密の暴露が5つも6つもあっても本件での逮捕を見送り、時効記者会見でもオーム教団による犯行だと信じていると発表していましたね。

今はだいぶ状況が違うかも知れませんが、昔は警察官僚と言えば同期入省の東大法学部5人が上下1年くらいの人達と警察庁長官や警視総監の地位を争うイメージでほぼ出世が約束されていました。入省時から主任や係長など役職がついているのでヒラの経験はありません。都道府県警に出向すれば呼称はワンランクアップ、地元警察署ならツーランクアップなのですぐに課長や課長補佐と呼ばれることになります。そしてよほどヘマをしない限り資格は警視、警視正、警視長(本庁課長、県警部長クラス)警視監(本庁次長、局長、又は大規模県警本部長クラス)まで東大法学部組はほぼ自動的に昇格して行きます。この警視監30数名の中から最後の二人が決まる訳です。警察の業務評価・昇格基準がどんなものか知りませんが最後は足の引っ張り合いかゴマの摺り合いになるのでしょうね。

今一部で話題になっている栗生官房副長官に絡む話として2018年彼が警察庁長官になろうとする時期に、パチンコ業界との酷い癒着(付け届けやシンガポールカジノ接待)などを暴きこんな人物を長官にしてはいけないという怪文書が出回ったと言われています。警察官僚として無謬神話に囚われ、「由らしむべし知らしむべからず」を旨として30万人近い警察官のトップになることがほぼ保証された人達はもともと国を良くするとか犯罪を無くす為と言った高い意識を持って警察庁に応募しているのでしょうか?それともいつの間にか権力の座の心地よさにあぐらをかいてしまうのでしょうか?

現在、刑事告発を受けている露木警察庁長官は東大法学部が当たり前の中で珍しく京大法学部出身です。中村格長官が安倍元総理暗殺事件の責任をとって辞任したことを受け棚ぼたで長官になったと言われています。ただ彼が初めての京大出身長官という訳ではなく過去1人だけ京大出身の長官がいました。2000年に就任した田中節夫長官で彼は交通局長から次長・長官へと昇格したとてもめずらしい経歴の持ち主です。実は彼もある意味棚ぼた長官だったのです。1995年は1月の阪神淡路大震災に始まり3月20日の地下鉄サリン事件、同30日の國松警察庁長官狙撃事件ととても落ち着かない1年でした。狙撃犯はオーム教団の一員だとして譲らない公安部と犯人は別にいるはずと主張する刑事部との間で意見が分かれたまま時間だけが過ぎて行きました。1997年に國松長官の後をついだ関口長官の下で次長についたのは捜査の信頼が地に落ちた公安・刑事部門とは無縁の交通局長だった田中節夫氏でした。そして現職警察官の覚醒剤使用事件を隠蔽した神奈川県警を始め各地で警察の不祥事が多発し、その責任を取る形で辞任した関口氏の後を継いで2000年に初の東大法学部以外の警察庁長官が誕生しました。(正確には2代目警察庁長官に海軍主計学校出身の方がいます。)

思い出して見ると私にとっても1995年から2000年は激動の時代でした。バブル崩壊に伴う不動産価格の暴落、不良資産の大量発生、関連リース会社の存亡危機、国内の不良資産整理に追い打ちをかけるようなアジア通貨危機、韓国経済破綻危機、ロシアルーブル危機と次々に危機が訪れ、ノストラダムスの予言が当たりそうな勢いでした。山一證券や北拓銀行、長銀の破綻、銀行への公的資金注入、そんな色々な危機の原因が全て80年代の日本のバブル及びその崩壊に繋がっていたような気がします。この関係は警察においても同じだったのだと思います。バブル当時の警察と地上げ屋の繋がり、持ちつ持たれつの関係は90年代にまで続いていたのでしょう。そう言えば今回警察庁長官を刑事告発した日本タイムズの川上社長が香川県の警察がヤクザに渡したと言われる拳銃で襲われたのも1999年のことでした。

話がだいぶそれてしまいましたが、要はほんの一握りの東大法学部卒の人間が現場の経験もないまま上から目線でこの国の警察組織を支配し、今では国そのものを支配しつつあるのではないかと懸念している訳です。

木原事件の原点である種雄さんの不審死は2006年のことです。当時の警察庁長官は漆間厳氏でちょうど警察の裏金問題が追求されているころでした。浅野史郎宮城県知事が県警の操作情報費の開示を求めた時、県警本部長がそれを拒否しました。本来、県警本部は県の組織ですが政治介入を防ぐ為であればそれはそれで結構なことですが、県のトップは資料の開示を求めただけなのです。しかし漆間警察庁長官は県警本部長を支持し、知事は警察捜査の邪魔をしているかのような発言をしていました。当時私には知事ごときが何を言っているかと言う風に聞こえました。その後、彼は麻生総理の下で32年ぶりに警察出身の「官房副長官」になったのです。そして第二次安倍政権では警察出身の杉田官房副長官が長期にわたりその手腕を発揮し、警察による日本支配を進めて行きました。そして2018年には警察庁長官として相応しくないと言われた栗生俊一氏が今では木原氏の同僚として官房副長官の職にあるのです。強い後ろ盾を持ち最早怖いものなど何も無い露木警察庁長官は
「俺が事件性がないと言ったらないんだ」
と言わんばかりです。

本日の文春オンラインによれば「捜査のイロハを教えてやろうか」という佐藤元警部補の言葉にカチンと来た露木警察庁長官が「俺が捜査のイロハを教えてやる」と激怒しているようです。誰が見てもどちらが捜査のイロハを知っているかは分かりますよね。そして長官は警視庁捜査二課の藤山課長に対し地方公務員法違反で佐藤元警部補を立件するように命じているようです。実際は佐藤氏を尾行したり、財政状況を調べたり、知り合いの会社へ照会状を送ったりと嫌がらせもどきのことをしていて何とも言いようがないですね。

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