急逝した母

丈夫で、79歳までシルバーで働いてた母
丈夫だと思ってた母が他界
81歳

7月初め、しんどいと連絡があり、病院に行くと熱中症の診断
再度、行くと、膵癌、ほとんどの臓器に転移
一年前のCT画像では、何もない
素人が見ても、もうダメだと思った

入院から、1週間で脳梗塞を起こし、衰弱が進んでいき
入院から20日で他界

今、お骨になった母が私のうちにいる

もう気持ちがついていかないまま
線香の香りの中にいる

母81歳、私56歳

もういいじゃないですかという年齢だけど
やはり、哀しい
後悔が溢れる

昨年暮れから、母に苛立ち、よく怒ってた
私も体調が悪く、市内に住んでるのに足が遠のいてた

しんどいから、病院に連れて行ってと言われた時も
前夜遅くで、いい加減にして!エアコンしてないんでしょ!
などと怒ってた
病院にいっても、母は私に気遣い、黙ってた

数日後、差し入れを持ち様子を見に行っても
大げさにしてなんて思って
今度はタクシーで行ってよとか言ってた

そして、母はタクシーで行き、即入院、そのまま帰れなかった

母は、差し入れを食べてるよと言ってたけど
食べてなかった
医師から、6月初めから食べられなくなったと言われてましたと

どうして、そこまで我慢したの
私達に迷惑かけたくなかったから?

この後悔や反省や哀しさでおかしくなりそうで
プロの手で助けてもらおうと
10年前の離婚前後、通院した精神科に予約した

家庭が、父が狂ってて、DV、虐待が日常だった
兄弟は3人、兄と弟
殺伐とした家庭で、兄弟バラバラ
楽しい会話なんてない
私も20歳で家を出た

コミュニケーションが育たない家庭
父親の怒り方だけは身についてしまい
キレ方だけわかって、感情の出し方、伝え方が苦手

今回ことも
たわいもない話しができる親子なら
病気も早く気づけたんじゃないかと思う

母には話し相手がなく
幼い時から、私に愚痴悪口を延々話す人だった

兄と弟は可愛がる

私は、吐け口であり、パシリ
それがずっと

私が乳がん検査疑いありで話すと
返ってきた言葉は
「あ、そう、あのね隣の人が、、、、、、、」悪口の機関銃
元夫と私と母の3人で離婚話しになった時も
元夫「出て行け!」
母「困ります、帰って来られたくない、うちは無理です」
嘘でいい、守ってほしかった
とにかく、そんな感じの扱い

30年前に亡くなった父
20年前に亡くなった祖母(姑)への恨み辛みをずっと話してた

20年前の隣とのトラブルにずっと執着して
悪口が止まらなかった

楽しみを増やしてあげようと
いろんなことを提案する
スマートスピーカーも置いて
近所のサークル、イベントも紹介したり
けれど、ほぼ拒否

ひたすら悪口、不平不満

私も、聞くのも限界になり、いい加減にしてと怒り
しばらく行かなくなった

そのタイミングで癌なってた

私しか話し相手がいなかった
もっと聞いてやればよかった
でも、時間が戻っても
あの恨み辛み不平不満の話しは聞きたくない


こんな
哀しさと、複雑な思いに、心が疲労してます


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