ド平凡

本日は先日公開された
山崎怜奈さんの
ブログについての感想を。

ぜーーーんぶ主観です。

そこはお見知り置きを。
この記事の前に、
というかこの記事なんてどうでもいいので
自分が平凡で嫌になる
と言う人はぜひ一度このブログ
を読んでみていただければと思います。

突出できない

私は突出した才能がありません。
でもある程度器用に物事を
進めていくことができます。
自慢でもなんでもなく俯瞰で
外から自分を見た時に
ある程度、中の中もしくは中の上
くらいまではいくことができるんですよね。
しかしそれ以上にいけたと
感じたことはこれまでの27年間
ひとつもありませんでした。

ここからは自慢ではないです。
そしてある程度自分のスペックが
低くないという恵まれていることを
自覚した上で書く嘆きなので
気分が悪くなったら即刻
閉じてください。笑

一番努力しても一番にはなれなかった

私は中高大と吹奏楽をしていました。
中学校で吹奏楽に出会い
高校では全国大会に行きたいと思い
無事マーチングで全国大会に
進むことができました。

絶対に部で一番練習をして
努力をしていた自負があります。
吹奏楽に費やした時間も
労力も絶対に部活内で
一番だったと思います。

それでも一番には
なれなかったんですよね。
やっぱり1番になるのは
ある程度才能を持ち合わせた子が
本気で努力できた時でした。
負け惜しみと言われればそれまでです。
でもそれでもやっぱり努力の質と量だけでは
越えられないものがありました。

俯瞰してみるということ

自分のことを俯瞰して見られる
と言うのはどこか達観している
からなんだと思います。
それはもちろんいいことでもあります。

でもそれゆえの弊害も。
自分の感情がわからなくなるんですよね
俯瞰で見ているからこそ
客観的事実に目を向けてしまい
そうすることで自分の感情
に疎くなってしまいます。

こう思うけど
客観的に見たら負け惜しみだもんなぁ

こう思うけど
実際こう見えてるからこうしないとなぁ

こんなことばっかりです。
事実に目を向けるからこそ
感情・主観
を入れ込むことができなくなっていくんですよね。

錆びたコンパスという楽曲

これまでひたすらマイナスな面
について語ってきましたが、
先日のれなちさんのブログで
プラスの面もあるのかと思えたのが
この「錆びたコンパス」と言う楽曲です。

この曲を初めて聞いた時
”アンダーだからこそ”この
言葉が胸に響くんだと思いました。
もちろん今もその感覚はあります。
しかしそれ以上に
山崎怜奈さんがセンターだから
こんなに響いてくるんだと
思いました。

いつも自分が「じゃない方」だと
感じて俯瞰で活動してきた人が
センターに立って、主人公になって
「行き倒れたってそれで本望だ
立ち止まってるより前へ進め」
と声をあげたんだと思います。
そんなの、響くに決まってますよね。
響かないはずがないんですよね。

普段俯瞰で落ち着いて物事を見とる人が
感情を、心を、表現しようとすると
こんなにも心に響くのか。
と思い俯瞰でいることも悪くないのかな
となんとなく感じました。

「じゃない方」

私はいまだに自分が
「じゃない方」として生きることを
抜け出したいと思っています。
何かで1番になりたかったり
誰かにとって1番になりたかったり
でもそれでもいいのかなぁ
とも感じることができました。

”確立された存在がいる限り
「じゃない方」が存在する”

と言う山崎怜奈さんの言葉が
めちゃくちゃに響きました。

これでいいんだぁとも思ったし、
もしかしたら自分も誰かにとっては
主人公や、影響力のある人
でいられてるのかなぁ
なんて思ったりもしてます。

悪くないなと思うことは
まだできていないけど、
これでいいのかもなぁ。
と思えて少し楽になりました。

さいごに

ぜーんぶ主観です。
意図されたことと、
伝えたかったことは違うかもしれません
でも自分はこう受け取ることができて
確実に私に良い影響を与えてくれました。

文章で、言葉で人を変えることが
支えることができるって本当に
すごいことだなぁと感じました。

また乃木坂に考えを変えてもらいました。

いつか恩返しできるといいなぁ。

では、みなさま良い1日を。

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